【YOUR VOICE】明治の田舎侍・井上毅→中国儒教→男系男子→大元帥→戦争→敗戦→戦後80年(今ココ)

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※ こちらは10月18日付の【YOUR VOICE】高市氏の「神武のY染色体ガー!」 明治に造成整備された御陵でどう証明を?に対し、読者様から寄せられたコメントです。

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男系だ Y染色体だと 儒教脳

明治の夢は 二度寝の悪夢

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近世になっても、徳川家康が新田(源氏)の末裔を称して征夷大将軍になるぐらいです。家格を重んじる日本では「系図詐称」もまた盛んでありました。婿を取っての女系継承は、むしろ「王道」でございます。

越前の地方豪族のオオド(継体天皇)が応神天皇の5世孫と言う話は、「王朝交代」があったと指摘されるポイントの一つですね。

でも、前王朝の仁賢天皇の皇女を皇后として女系で皇統を繋いだのは、ファインプレーだと思います。それを受け入れたヤマトの豪族連合も殊勲賞です。こうやって、女系も含めた男女双系で権威の体系としての皇位を紡いで来たのが、日本の伝統です。パチパチ!

 

明治以降の男系男子は、熊本藩の田舎侍・井上毅が伊藤博文にゴリ押しして決めた事です。当時の「田舎侍」の頭の中は、中国儒教の男尊女卑と父系主義ですからこうなります。

そして、新政府は天皇の伝統を壊して軍の大元帥に祀りあげたので、「軍のトップは男でなければならぬ!」と言う具合なのです。

田舎侍→中国儒教→男系男子→大元帥→戦争→敗戦→戦後80年(今ココ)

 

戦争が終わって80年経つのに、いつまで「中国儒教脳」なの? 高市氏と日本会議は、日本を戦前に戻そうと言う臭いがプンプンして、臭くて鼻が曲がりそうです。

国民に「鼻栓」を支給してください!!

(コメント欄:匿名さんより)



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1件のコメント

  • 吉川英治の新平家物語の一節を思い出します。
    残念ながら青空文庫の該当箇所は現在作業中のまま中断され、紙の本は既に廃棄してしまったので(例によって怪しい)記憶に頼ります。
    もはや「大意」と、書くしかありませんが、
    >保元の乱の時に、左大臣藤原頼長が自身で鎧を着用し、崇徳上皇にも鎧を召すことを勧めた時に、(名前失念、位の低い)某が諫めていわく、
    >「神代上古はさておき、永らく帝は干戈甲冑でなく【仁徳】をもって政に当たられてきました。
    >異国はともかく、我が国においては、帝が甲冑をまとった絵姿は拝見したことはございません。」
    >周囲も皆もっともという顔をしたので、上皇の鎧着用は見送られ、頼長自身も鎧の重さと暑さに耐えかねて脱ぐことになった。

    このくだりは吉川英治の創作と思いますが、1000年近く前で、既にこうだったと思われるわけです。
    皇室は武力とは一線を画してきた。だからこののちも続いた。万世一系だから続いたわけではありません。

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