【YOUR VOICE】麻生氏が愛子天皇阻止に動き三笠宮家への見方が変わった 愛子さまを支えてくださればこそ愛されたのに
※ こちらは【YOUR VOICE】関テレ『報道ランナー』の皇室典範特集 優秀だった女性天皇を紹介し、街の声は敬宮愛子さま支持者ばかりに対し、読者様から寄せられたコメントです。
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今回、民意を完全に無視して、旧皇族復帰を強行しようとしたことで、麻生家も三笠宮家も不幸になるような気がします。
というのも、これまでは寛仁さんの酒癖の悪さをいいことに、余り世間も目くじらを立てることなく来られてきたのが、一転して、麻生家はなぜここまで愛子天皇を阻止したがるのか、と一族の利害関係とその背景に興味が持たれるようになったからです。
一旦風向きがそちらの方向に流れ出せば、叩けば埃だらけの寛仁さんだし、麻生家の野望や狙いにも世間の注目が集まり、何もかもが悪い方向に流れ出す、例の「秋篠宮家不幸の法則」がそのお仲間相手にバッチリ適用されるようになるとみています。
結局、次世代の皇室としては、天皇家(愛子皇太子)と高円宮家(久子さまと承子さま)だけで十分なのです。三笠宮家は醜聞が多すぎます。
寬仁親王妃信子さまが愛子さまに常に愛情深く接し、温かく見守ってくださっていたことを国民は知っております。三笠宮家が国民から愛されるとしたら、全力で愛子さまを支え、カルトチックな男系男子論を批判してこそだったと思います。
なのに、麻生氏が全く見当違いな行動を今回取ったことで、国民も疑問に思い始め、陛下に対する不敬を許さなくなると言えましょう。
(コメント欄:匿名さんより)
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>このまま黙秘なら麻生ごと叩かれるでしょうが「私たちが宮家をいただいたのだから愛子様や承子さんも宮家を継承する権利がある」と主張されれば・・・
実はそう主張する為の布石だったと思います。
その陰では瑤子様と佳子様の民間降嫁か女性宮家創設のどちらかを審議中だと思います。ご当人方々も「皇族の栄誉」か「降嫁して自由」のどちらを取るかお悩みでは??
ご評判の良い絢子さま御一家が民間人では勿体無いが、皇籍復帰はNY元内親王の復帰に繋がるので出来ないでしょう。絢子さまご一家は準皇族(正式呼称ではない)としてなら将来イベント御観覧等でご協力なさるかもです。
秋篠宮妃がもしも皇后や天皇の母と決まっているなら、あのテニススコートの画像が世界中に流しておくでしょうか。今更削除させたら事態は更に悪化するでしょうけれど。
人に上下無しと雖もそれは一般的な話、
【国体の象徴】ともなれば、人々の鑑となれる「上の人」であるのが必須でしょう。
「敬宮様を」との90%近い声は人気ではなく【期待】なのです。
「麻生氏はいつ、どの時点から、謀反陣営に鞍替えし、反愛子天皇派に転じたのか」
麻生氏も週刊誌などによると2008年までは、女系天皇には反対するも、女性天皇には反対してこなかったとあり、最近になって反愛子天皇派に鞍替えしてきたことがわかります。
では、何が麻生氏をして「宗旨替え」をせしめたのか?
三笠宮家内の御家騒動で弱みを握られた麻生氏が「藤原道長成り」の野望を刺激され、代理母を使った「悠仁s量産計画」の首謀者と考えられる美智子氏から、御用済悠仁sや現在のFTM親王の全員に新たな皇籍を付与させて、正式に皇族化できるよう、懇願されたということはないでしょうか。
生長の家や神社本庁、部落解放同盟等からの紀子皇后化攻勢も激しく、統一教会系の日本会議からの国政選挙動員、総裁選支持も自派閥には今後も必要なので、麻生氏は、あれよあれよというまに御神輿に担ぎ上げられ、反愛子さま派のトップとなったとみるのが最も「ありうる線」ではないでしょうか。
ただ実際問題として、「Y染色体のないFTM親王」をしてそのまま皇位継承順位者としておくなど自己矛盾も甚だしく、自民党員の岩盤支持層も「FTM親王でもきちんと担げ」などと言われれば、たちまち空中分解しかねません。
それでも、愛子天皇を求める国民の声は最高に強いです。どんなに産経新聞と世界日報が吠えてみせても、麻生氏も「泣く子と世論には勝てない」とそろそろお気づきなのではないでしょうか。
「ヒサ女子ちゃんたち」が代理母あるいは愛人の子であるなら、「悠仁さま」を名乗って皇族費を一円でも使った時点で、忽ち詐欺罪が成立する可能性が高まります。少なくとも、出生時点では認知もされておらず、代理母の子たちには皇族資格がないのだから、本来はアウトなんです。
『一般人が「皇族の養子になって皇族となった事例」は過去にないと宮内庁次長 長妻昭氏の質問に対し答弁』
東京新聞 2026年6月12日 17時44分
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皇族数の確保策に関連し、宮内庁の緒方禎己次長は12日の衆院内閣委員会で「誕生時に皇族でなかった方が、皇族の養子になって皇族となった事例はないものと承知している」と答弁した。
事例があるかをただした長妻昭氏(中道改革連合)に、「現時点で、宮内庁として資料に基づいて確認できる限りで申し上げれば」と前置きした上で答えた。
衆参両院が10日に決定した「立法府の総意」では、現在は禁止されている皇室の養子縁組を容認し、1947年に皇籍を離脱した旧11宮家の男系男子を対象とする方針が盛られた。長妻氏は「伝統文化ではないということだ」と付言した。
皇室典範改正案の「養子案」復活は正当性欠く 元宮内庁書陵部専門研究者が指摘する問題点
皇室典範
2026/06/06/ 15:00
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皇室典範改正の議論が大詰めを迎える中、一度は見送られた「養子案」を自民党と日本維新の会が「第一優先」案としたことで、反対の声が大きくなっている。宮内庁書陵部に定年まで32年間勤務した専門研究者・鹿内浩胤氏(お茶の水女子大学客員研究員〈日本史〉)が問題点を指摘する。
1947年10月、11宮家の51方が現行の皇室典範の規定に基づいて皇籍を離脱された。これらの方々がいわゆる「旧皇族」である。当時は、昭和天皇の実弟である直宮三方(秩父宮・高松宮・三笠宮)が御健在であり、前年には三笠宮家に寬仁親王も誕生され、将来の皇位継承者確保に十分な見通しがあったからこそ、この一斉離脱が可能となった。新憲法施行後5カ月経ってからの離脱となったのは、当時の宮内府次長の国会答弁によれば、離脱する皇族方への一時金の支給に関する政府とGHQによる折衝が難航したために、施行以前に離脱を完了できなかったということであり、この5カ月は「意図的に用意された皇族身分の継続期間」ではない。
しかし、1965年の秋篠宮文仁親王殿下の御誕生以降、皇室には長らく男子が誕生しない状況が続いた。少子化という社会問題が深刻化していく中、1990年代後半以降、政府(内閣官房)では安定的な皇位継承を確保するための制度設計についての検討が重ねられていた。そして、2001年の敬宮愛子内親王殿下の御誕生を機に皇位継承問題は喫緊の課題となり、05年の「皇室典範に関する有識者会議」設置へとつながっていくのである。
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「あれは、かつて我がお側仕えをしていた臣下ではないか」
平安時代の歴史物語『大鏡』には、陽成上皇が宇多天皇の行幸(お出かけ)を目撃した際、思わずそう言葉を漏らしたという生々しい逸話が記載されている。
現在の皇室典範改正議論において、旧宮家の男系男子を皇族の養子に迎える「養子案」が有力な選択肢として浮上するに伴い、しばしば宇多天皇の皇籍復帰後の即位(臣籍降下した後に再び皇族に戻り、即位したこと)がその歴史的先例として引き合いに出される。
宇多天皇の父である光孝天皇は、即位後間もなく、皇太子を定めず、その皇子・皇女たちに「源朝臣」の姓を賜い、臣籍降下させている。これは当時の最高権力者であり、陽成天皇退位後の混乱の中で、複数の候補者の中から自身を擁立した藤原基経に、「自分の子孫に皇位を継がせる気持ちはないこと」を示したものとされる。その臣籍降下した皇子の一人であった源定省(みなもとのさだみ)が、光孝天皇重病という非常事態の中、これまた基経の判断で急遽皇籍に復帰して皇太子となり、皇位を嗣いだ。宇多天皇である。
陽成上皇の言葉は、自身が退位させられた後、皇統が光孝・宇多の系統に移ったことへの不満はあったかもしれないが、単なる皮肉とも言えないだろう。かつて自分に仕えた臣下が、突然至高の存在として眼前に現れたことへの上皇の強烈な違和感と、貴族社会における身分秩序の揺らぎを現代の私たちに伝えている。『大鏡』は歴史書ではなく歴史物語であり、書かれていることをそのまま史実と見ることはできないが、この逸話は当時の社会通念を踏まえた記述と見ることは許されると思う。
「身分の不可逆性」の原則 身分保持案の「非対称性」
我が国において、一度臣籍降下・皇籍離脱した者は皇籍に復帰しないこと、また、臣籍降下・皇籍離脱した者の子孫は皇族にならないことが歴史上の通則である。もちろん、懲戒等によって皇籍を剝奪された者が、後に許されて復帰した事例など、限定的な例外がないわけではない。しかし、例外事例のうち、ここで問題にしている皇位継承に関係するのは、宇多天皇及びその皇子の醍醐天皇の事例のみである。
さらに正確を期すならば、宇多天皇と醍醐天皇の即位までの経緯の違いにも着目せねばならない。宇多天皇は「皇族から臣下、そして皇族に戻り即位へ」という本人の皇籍復帰である。しかし、醍醐天皇は父が臣下に降っていた時期に生まれたため、誕生時から臣下であった。つまり「臣下から皇族、そして即位へ」という、宇多天皇よりさらに特殊な「皇籍取得」という経緯を辿っている。
同じく『大鏡』には、陽成天皇の退位に伴う皇嗣選定の際、左大臣であった嵯峨源氏の源融(みなもとのとおる)が「自分も近い皇胤なのだから候補に入る」と主張したのに対し、藤原基経が「一度姓を賜って臣下となり、官歴を有した者(「ただ人にて仕へて」)が即位した例はない」と退け、貴族たちもそれに同意したという逸話も残る。一見して、源融の時と源定省の時で基経の態度が矛盾しているように見えるが、実は臣籍降下後に官歴を有したかどうかというところがポイントで、融は臣籍降下後に官歴を重ねて左大臣にまで至っているのに対し、定省は臣籍降下以前に侍従として陽成天皇に奉仕したことはあるが、降下後は官歴を有していない(安田政彦『平安時代の親王と政治秩序』〈吉川弘文館、2024年〉参照)。
これらの歴史が教えてくれるのは、いくら血統が近くとも、一度降下したら、皇位継承の環には戻れないという「身分の不可逆性」の原則である。血筋(皇胤)と身分(皇族)は明確に区別されていた。
そもそも、過去の歴史上の事例が全て「先例」になるわけではない。そこから選ばれた吉例・嘉例のみが後世の規範、すなわち「先例」となるのであり、不吉な事例やイレギュラーな事例は凶例として忌避される。宇多天皇・醍醐天皇と同様の事例が、その後「先例」として繰り返されることはなかった。
既に三代、70年以上の歳月を「日本国憲法下の国民」として生活し、選挙権の行使、納税の義務などを果たして来た旧宮家の男子を皇族の養子とし、その養子の子(男子)を皇位継承資格者とするという選択を、宇多天皇・醍醐天皇の事例を「先例」として正当化するのは無理だと言わざるを得ない。
並行して検討されている、女性皇族が婚姻後も身分を保持する一方でその配偶者や子を皇族としない案(身分保持案)も、制度的な問題を内包している。
現行の皇室典範第15条は、明治典範で規定された非皇族女子が天皇・皇族男子との婚姻によって皇族となる制度を維持している。皇室を一つの「家」と見なす明治典範の「家の論理」の一貫性を保つならば、配偶者となる非皇族男子に対しても等しく身分を付与しなければ整合性を欠くが、それをせず片側だけを排除し続けることは、制度の中に不自然な非対称性(男女の不均衡)と矛盾を固定化させる懸念がある。
「時間の経過」と当事者の尊厳
なぜ、これほどまでに無理のある制度設計が、今進められようとしているのか。時計の針を2005年に戻す必要がある。当時の「皇室典範に関する有識者会議」の報告書(平成報告書)は、将来皇室に男子が誕生する可能性も視野に入れた上で、徹底的な法理的・歴史的検証の末に、安定的な皇位の継承を維持する観点から「皇位継承資格の女子や女系皇族への拡大」が妥当と結論付けた。一夫一婦制のもとでは男系男子だけで血を繋ぎ続けることは確率的・構造的にいずれ限界を迎えるという数理的な現実を看破し、養子案については「国民の理解と支持、安定性、伝統のいずれの視点から見ても問題点」があるとして、事実上否定したのである。
翌2006年の悠仁親王殿下の御誕生は、この構造的リスクの顕在化を次の世代へひとまず先送りしたが、根本的解決をもたらしたわけではない。しかし政治は、この「歴史の偶然」に拠って議論を棚上げし、20年間放置してしまった。政府はこれまで、平成報告書を公式には否定も撤回もしていない。論理的止揚なき「上書き」による養子案の復活は、行政手続きの正当性を欠いている。
天皇・皇族の特殊性を理由に個人の自由の制限を当然視する向きもあるが、2016年の上皇陛下(当時は天皇陛下)の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」ににじむお気持ちを拝察するに、皇室の方々の人生を制度維持の「手段」や「数」としか見ないような現在の議論は当事者への敬意を欠いており、慎重に回避されるべきである。
また、養子案が当事者間の「私的な合意」に頼っている点も危うい。合意の都度の国会承認で特権階級の恒常化を避けようとしても、候補者が旧宮家に限定される以上、一般国民の中に皇族の不足を補う「准皇族」とも言うべき新たな身分を作るという門地による差別(憲法第14条)の構造は動かない。そうかと言って、今回限りの特例法で養子となる人物を選出すれば、客観的基準を欠いた恣意的な身分付与となり、法の平等の精神に対する明白な違反となる。さらに、具体的な内諾もないまま枠組みを先行させ、結果として「誰も手を挙げない」事態になれば、法案を成立させた立法府の権威は失墜する。民間育ちの男性を皇族の養子とすることの実務的・人道的な困難さは、20年を経て遥かに増している。
数の力に委ねてはならない皇位継承の未来
「静謐な環境」における議論とは、「開かれた議論」を否定するものではない。また、選挙によるその時々の政治的多数派(国会の議席数)の数の力だけで、数百年後までの未来に関わる皇位継承の在り方を拙速に決めるべきではない。一過性の政局によって変動する議席数は、必ずしも歴史的に積み重ねられた国民の安定的合意を意味しないからである。
現行憲法第1条において天皇の地位が「国民の総意」に基づくとされている以上、主権者たる国民は十分な情報開示に基づいてこの問題を共有する権利がある。今こそ、事実と法理に基づき、国民が主体的に参加する「皇室典範国民会議」のような場で透明性の高い議論を尽くすべきである。それこそが、歴史と未来に対する誠実な態度であると信ずる。(寄稿)
(お茶の水女子大学客員研究員〈日本史〉・鹿内浩胤)
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そもそもこんな展開になってきたのも、安西家からの闇養子疑惑が濃厚で、その時点で既に皇族費詐取容疑が指摘されるヒトヒトが、さらにハンブルオリジン妃と「重婚」した疑惑を重ね、正妻のタイ王女側の「親族」が紀子結婚式では最上席に座る摩訶不可思議な儀式を経てみると、ちょっとやそっとでは世論が許してくれるはずもない皇室内での悪行の果てに今のいびつな構造があることが読めて来ます。
これら昭和平成皇室の悪事を何事もなかったかのように消し去るには、安西文仁氏と同じく「平民籍に生まれた者からの皇室への養子」事案を遮二無二実現させ、後付で安西家からの闇養子疑惑を相対化することで永久に封印しようとの、歴代内閣の秘密と官房機密費からの巨額の裏支援を正当化したい政権側の悲願と美智子さまからの火葬愁訴とが野合し、衆院絶対多数という事態発生により突如「今だ、今しかない」と維新を言いだしっぺにするも、実は政権側から仕掛けてきた陰謀というしかありません。
それだけに、皇族数確保などというお題目に騙されてはならず、宮内庁の緒方禎己次長による衆院内閣委員会答弁で「誕生時に皇族でなかった方が、皇族の養子になって皇族となった事例はないものと承知している」としたことをくどいばかりに引用して、国民に周知せしめ、これから政府が仕掛ける典範改悪の悪だくみとは、伝統無視のとんでもないものとの意識を広めることこそが重要、といえましょう。
記事の通りだと思います。
最近皇室アカウント外の方も皇室関連のニュースに関心を向けられていますが、残念ながら信子様も彬子様も「麻生の妹・姪だから女なのに宮家をもらえた」と冷たい目で見られているようです。
このまま黙秘なら麻生ごと叩かれるでしょうが「私たちが宮家をいただいたのだから愛子様や承子さんも宮家を継承する権利がある」と主張されれば応援されるかも?
秋篠宮家は佳子様でもひさぼんでもご自由に。