【皇室、徒然なるままに】第7話 “Princess Masako” 事件《前編》 西村泰一

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Prisoner (囚われ人)という言葉を用いたことも話題になった書籍『Princess Masako』(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)
Prisonerという言葉を用いたタイトルも話題に(画像は『Wikipedia』のスクリーンショット)

英チャールズ国王の戴冠式に、ついに出席された秋篠宮ご夫妻。そして、招待状が日本の天皇皇后両陛下宛てであったにもかかわらず、非常に早くから秋篠宮ご夫妻の渡英を決めていた日本政府と宮内庁。その流れは、海外の王族たちに「あの書籍」を思い出させていたのではないだろうか。

そこで、第6話に続く “宮内庁広報室がやるべきこと” の後編より、こちらを先に執筆することにした。オーストラリア人のジャーナリスト、ベン・ヒルズ(Ben Hills)氏によって著された2006年の『Princess Masako: Prisoner of the Chrysanthemum Throne』、並びにそれの邦訳の出版等に関して起こった “Princess Masako” 事件について、インターネットで得られる情報をもとに論じてみたい。

ヒルズ氏はそのゴタゴタを土産話に、2018年に天国へと旅立っている。まずはWikipediaで、日本語版である『プリンセス・マサコ ― 菊の玉座の囚われ人』について見てみよう。

皇后雅子(当時は皇太子妃)を題材に「3年余、60人に及ぶ取材で得た証言をもとに、彼女の苦悩と生い立ちを描いた、宮内庁や日本社会の批判を主題とした作品である。日本では当初の翻訳書発売が批判対象となった宮内庁と、外務省からの抗議に遭い、出版社の講談社が出版中止し、第三書館が講談社版の削除した記述を復活させた完訳版を発売した。日本の新聞・雑誌なども政府に追従して日本語訳宣伝広告の掲載を拒否し、このような経緯は日本政府による検閲とされて批判された。

 

日本語訳者の藤田真利子によれば、本書は事実と推測と意見を書き、噂は噂であることが分かるように記述されている。また日本語版は、ヒルズ自身の手で訂正を加えた原書第2版を元に翻訳された

 

皇太子と雅子の結婚当日の朝、「黒衣の男たち」(宮内庁職員)に迎えられて雅子が実家を出る場面にヒルズが受けた暗い印象から始まり、イギリス王室の結婚式と比較し、賢所での厳かで興味深い結婚の儀式が公開されない閉鎖性を不満を込めて説明する。また外国生活の長かった雅子に対し、宮内庁が「日本人的」でないと批判し、親族が水俣病原因企業関係者であることを建前にして反対したり(5章)、旧宮家・華族や学習院のOG会組織による、2代続けて庶民から皇太子妃を選んだことを恨んだ反雅子キャンペーンなどがあったと説明する(1章)。

 

続いて、夫妻それぞれのルーツが語られ、雅子妃の海外と日本を巡った少女時代から外務省入りし、お妃候補になるも固辞してトップレベルの外交会談で通訳を務める頃までの軌跡(2・6章)、父・小和田恆の優秀な家系やその人物像を紹介する(2章)。また明治天皇から皇太子徳仁親王の父・明仁天皇に至るまでの皇室の家庭事情、皇太子がなかなか妻を見つけられない事情を説明する(3章 – 6章)。

 

皇太子は雅子を忘れられず再び結婚を申し込む。父・恆も固辞したものの、外務省の威信を高めたいと考える官僚たちの強い説得に押され、最終的には娘自身に判断を任せる。雅子は外務省で女性がキャリアを築く難しさを悟ったことや皇太子側の熱意などにより結婚を決意する。併せて、宮内記者会が宮内庁の意向の言いなりで、嶋中事件などの影響でヤクザをバックに持つ右翼団体の脅威に怯え、皇室記事に対する自己検閲を行うことが説明される。(6章)

 

2人は仲睦まじい夫婦となったが、宮内庁は雅子妃に公式な発言を控えさせ、彼女と友人たちとの個人的な接触にいい顔をせず、結婚後の3年間で実家の家族と会ったのは5回のみである。公務は多忙だが、欧米王室と違い毒にも薬にもならないもので、慈善活動に深く関わることは禁じられる。また約束されたはずの皇室外交は、天皇・皇后が皇太子時代37か国を訪問していたのに比べ、5年間に2回のみだった。これは宮内庁長官だった湯浅利夫が後に認めたように、彼らに「お世継ぎ」が誕生しないために、宮内庁側が加えた制限である。(7章)

 

天皇・皇族の生活は職員らが制限し、天皇の望みですらほとんど聞き入れない。さらに戦後、皇室は財産を失い、ビジネスも禁じられ税金に依存する生活を送らざるを得ず、またそのために非難を受ける。一方で職員は多すぎリストラが必要との指摘を受けている。さらに皇位継承については、女性天皇が認められず男性皇族が減って高齢化し、消滅が予想される危機を抱えている。

 

レズリー・ダウナーは、皇太子夫妻が天皇夫妻から、毎月生理があったかどうかを尋ねられるという記事を書いた。ヒルズは産婦人科医の発言を引き、夫妻の不妊の原因は年齢的なことと共に使用人らの詮索やマスコミ、皇室グルーピーの追跡が生むストレスであると指摘する。(7 – 8章)

 

6年後、雅子妃は一度妊娠するが流産し、宮内庁はようやく治療の専門家を手配した。これほどまでに治療開始に時間がかかったのは、雅子妃の宮内庁医師への不信とも伝えられるが、それ以前に不妊治療を恥とみなす世界的にみて遅れた日本の状況がある。皇太子側の男性不妊症の可能性も外国報道された。体外受精のエキスパートである担当の医師は成功に自信があると語ったが、その姿勢は旧弊な宮内庁の反感を受けた。治療は成功し、2001年12月に敬宮愛子内親王が誕生する。(7 – 8章)

 

しかし生まれたのが男子でなかったために、海外訪問の制限は続き、担当医師が辞任、湯浅は会見で公然と「もう一人」を要求する無神経な言動をする。雅子妃は帯状疱疹による静養に入ったが、やがてそれは長期になり、明らかにうつ病と疑われる状態になった2004年、皇太子は会見で妻の危機的状況を説明し、社会に衝撃を与える(人格否定発言)。だが宮内庁の対応は精神病に対する偏見から消極的で、ようやく発表された病名は「適応障害」であった。また雅子妃に対する天皇・皇后・秋篠宮の発言は彼女への批判と報道で解釈され、皇太子は謝罪に追い込まれた。(8・9章)

 

職員らは皇太子妃の健康状態を心配するよりも、公務や祭祀ができないことを非難し、悪意の噂を流した。病状が発表されて2年後の2006年12月、ようやく認知療法の専門家大野裕が担当医師として選ばれた。しかし日本の有力者や皇室ライター[注 2]、ネット上の悪意の声は彼女が病気であることを認めようとしない。2006年には秋篠宮夫妻に男児・悠仁親王が誕生したが、皇位継承危機の根本的問題は解決していない。(9・10章)

 

当人たちの心を無視して皇太子夫妻の離婚や皇籍離脱などもささやかれ始めたが、皇族の離婚は難しい。ヒルズはこの物語の先に光が見えず、雅子妃が義理の母・皇后美智子と同じく目の光を失い、決まり文句をささやく存在になり、友人や家族との関係も絶たれ、国のためにあきらめた人生を後悔して生きていくことになるだろうと述べて、この著作をしめくくる。(10章)

 

日本語版の出版を巡る経緯には興味深いものがある。当初は2007年3月に講談社から発売される予定であったが、日本の宮内庁と外務省は同年2月、皇室が出席する行事を無意味で形式的だと決め付けている、皇室によるハンセン病問題への関与を無視しているなどを理由に挙げ、作品の内容に重大な事実誤認があると著者に抗議した。Wikipediaのそのページにはこうある。

 

2月13日、外務省は会見を開き、駐オーストラリア大使を通じてオーストラリア外務貿易省副次官に抗議文を渡すとともに、宮内庁侍従長署名の抗議文も合わせて提出したと発表した。外務省報道官は会見で次のように述べた。

 

『日本国の象徴』であり『日本国民統合の象徴』としての立場にある天皇陛下をはじめとする皇室の方々、更には日本国民を侮辱するとともに、実態と乖離した皇室像を描いていることについて、日本政府としてこのような書物を看過することはできないということで抗議を行った。

 

これについて著者は、「私を威圧する企てには断固として応じないし、でたらめや私の本についての事実誤認についても応じる気はない」と述べ、謝罪を拒否した。さらに、宮内庁を雅子妃の健康状態についての責任があると告発した。

 

アデレードでの著者の講演会に対し、外務省在メルボルン日本国総領事館が講演を中止するよう圧力をかけたと著者が主張した。加来至誠メルボルン総領事はマイケル・ダンフィー日濠友好協会会長に対し、同書には事実誤認があり皇族に無礼であるという個人的見解を、友人として個人的に伝えたと認めたが、総領事館が圧力をかけた事実はないと日本側は主張した。

 

2月16日、講談社は上記のような著者の態度について「原書の明らかな事実誤認に対して、著者がマスコミの取材に『修正、謝罪する必要はない』とした姿勢は容認できるものではない」「版元と著者との信頼関係を保つことができない」と判断し発売の中止を決めた(翻訳作業中に原書に事実誤認が多数見つかり、著者の了解を得た上で再調査・修正を経て、日本語版の原稿はほぼ完成していたとしたとしている)。これに対して著者は、表現の自由に対する攻撃だとして反発、さらに日本政府について、「検閲を行った上に講談社に出版を止めるよう圧力をかけた」と非難した。

 

最終的に日本語版は2007年8月に第三書館から出版された。これについてすべての全国紙、主要な地方紙と雑誌が本書の広告掲載を拒否した。『朝日新聞』は掲載拒否について「公の機関の反応も鑑み」と弁明した。日本の戦後言論出版史において、メディアが右派・左派ともに一斉に広告の掲載拒否をした前例はない。ただし『日刊ゲンダイ』は広告と書評を掲載し、また『週刊金曜日』、『世界』(岩波書店)、『ちくま』(筑摩書房)の3誌が広告を掲載した。

 

2007年9月21日にヒルズ氏は来日し、日本外国特派員協会で記者会見を行った。その際には、原書から記述を149ヶ所も無断で削除したとして、講談社を批判している。

【皇室、徒然なるままに】のバックナンバーはこちらから。

次にWikipediaにある『Princess Masako: Prisoner of the Chrysanthemum Throne』の英語版を見てみよう。

Princess Masako: Prisoner of the Chrysanthemum Throne (ISBN 1585425680) is a controversial 2006 book by Australian investigative journalist Ben Hills. Billed as “The Tragic True Story of Japan’s Crown Princess”, the book drew criticism from the Imperial Household Agency and the government of Japan over its supposed inaccuracies, and Hills’ claims to have received death threats. The English version was released in Japan in September 2007.

 

A translation was to be published in Japan by the country’s largest publisher, Kodansha. But Kodansha demanded that some of the contents which was pointed out by Imperial household to be revised due to “substantial number of factual errors”. Hills refused and Kodansha, in response, decided not to publish the book. A small publishing company, Dai-san Shokan, later published the book in August 2007, along with a companion book by investigative journalist Mineo Noda titled The Truth about ‘Princess Masako’ – Mystery of the Contents Which Were Censored, which claims to reveal the ways the Japanese establishment tried to prevent Hills’ book being published.

 

The book

The author states that the book was written after over a year of research in Japan, Australia, America and England, and interviews with friends, teachers and colleagues of the Crown Prince and Crown Princess.

 

Among the claims made in the book are that Masako was forced to abandon her studies at Oxford because her thesis topic was too controversial; that the Imperial Household Agency opposed the marriage from the start and has bullied the Princess, leading to a nervous breakdown; that Princess Aiko was conceived as a result of in vitro fertilisation treatments; and that Masako is suffering from clinical depression.

Reactions

On February 13, 2007, the Japanese Foreign Ministry held a press conference in Tokyo at which it denounced the book as “insulting to the Japanese people and the Imperial family”, alleging “disrespectful descriptions, distortions of facts, and judgemental assertions with audacious conjectures and coarse logic”. Press conferences at which the book was denounced were also held by Japan’s ambassadors to America and Australia.

 

Japan’s leading media, including the Asahi, Mainichi, Yomiuri and Nihon Keizai newspapers all rejected advertisements for the book.

 

Kodansha

Publisher Kodansha was slated to release a Japanese translation in 2006, which was to contain 149 changes. According to Hills, these included:

 

・Removal of all references to IVF treatment (story originally broken by The Times)

 

・Alteration of references from “depression” to “adjustment disorder” – the Imperial Household Agency’s official terminology

 

・Deletion of all references to the controversial Yasukuni Shrine

 

・Deletion of references to yakuza

 

・Removal of statements about the allegedly strained relationship between the Emperor and Empress and the Crown Prince and Princess

 

On learning of what he termed the “bowdlerization” of his book, Hills demanded a disclaimer be placed in the preface. Ultimately, however, Kodansha decided not to publish the book.

 

Kazunobu Kakishima, a Kodansha editor, says that the book was cancelled because Hills refused to acknowledge making a “substantial number of factual errors”. Hills says, “We have repeatedly asked the bureaucrats for the list of ‘more than 100 errors’ that they claim to have found. There has been no response, other than to state that the Empress Michiko is not a ‘stick-thin, grey-haired wraith’.”

 

面白いことに、この本は中国語版も販売されており、Wikipediaでも中国語版の解説があるようだ。それぞれの邦訳はGoogle Translateによるもので、多少読み苦しい点があるのは御容赦願いたい。

《雅子妃:菊花王朝的囚徒》(英語:Princess Masako: Prisoner of the Chrysanthemum Throne)是澳大利亚调查记者班·希尔斯于2006年撰写的一本关于时任日本皇室皇太子妃雅子的传记。此书颇具争议,书籍在宣传时称书中披露了“日本太子妃真实的悲剧故事”,而日本政府及宫内厅则批评此书的描述多有不准确之处,作者希尔斯也声称收到多条死亡威胁。[1] 此书的英文版于2007年9月在日本发行。

 

(『雅子姫:菊の玉座の囚人』は、オーストラリアの調査ジャーナリスト、ベン・シアーズによる、当時の日本の皇室である雅子の2006年の伝記です。 この本は非常に物議を醸しており、この本が宣伝されたとき、この本は「日本の王女の本当の悲劇的な物語」を明らかにしたと主張し、日本政府と宮内庁は本の記述が不正確であると批判した. 著者シアーズはまた、複数の殺害の脅迫を受けたと主張した. この本の英語版は、2007 年 9 月に日本で発売されました。)

 

 

该书的日文版原计划由日本最大的出版社讲谈社出版。但讲谈社因宫内厅指书中的部分内容存在“大量的事实错误”要求对这些内容进行修改,[2]而作者希尔斯拒绝了这一要求,因而讲谈社最后取消出版此书。之后一家小型出版公司第三书馆于2007年8月出版了此书的日文版,与此书一同出版的还有日本记者野田峯雄为揭露权势集团阻扰希尔斯的书在日本出版的过程而撰写的书籍《〈雅子妃〉的真相——被审查的内容》。

 

(この本の日本語版は、当初、日本最大の出版社である講談社から出版される予定でした。 しかし、講談社は宮内庁から「事実誤認が多い」と指摘され、本の内容の一部を修正するよう要請し、著者のヒルズがこれを拒否したため、最終的に講談社は出版を中止した。)

 

 

作者班·希尔斯声明此书是历经一年多在日本、澳大利亚、美国和英国等多地的研究并探访皇太子德仁和皇太子妃雅子的朋友、老师和同事后编撰而成的。

 

(著者のベン・ヒルズは、この本は、日本、オーストラリア、米国、英国での 1 年以上にわたる調査と、徳仁皇太子と雅子皇太子妃の友人、教師、同僚を訪問した後に編集されたと述べています。)

 

 

书中声称的内容包括:雅子因其论文的主题充满争议性而放弃了在牛津大学的学习;宫内厅从一开始便反对雅子与德仁的婚事,之后对雅子进行霸凌,导致了她精神崩溃;雅子是通过体外受精才诞下的爱子公主;雅子罹患重度抑郁症。

 

(本の主張には、雅子は論文の主題が物議を醸したためにオックスフォード大学での勉強を断念した、精神的衰弱、雅子は体外受精によって生まれた愛子姫、雅子は重度のうつ病に苦しんでいる)

 

 

日本外务省于2007年2月13日召开新闻发布会,[3] 谴责这本书“侮辱日本人民和日本皇室”,并称此书用语粗鄙、扑风捉影,带有大量主观臆断的内容。日本驻美国和澳大利亚的大使也召开了类似的新闻发布会。

 

(日本の外務省は 2007 年 2 月 13 日に記者会見を開き [3]、この本を「日本人と日本の王室に対する侮辱」であると非難し、この本は下品で、大げさで、内容が含まれていると述べた。主観的な内容が多い。 米国とオーストラリアの日本大使も同様の記者会見を行った。)

 

 

日本包括《朝日新闻》、《每日新闻》、《读卖新闻》、《日本经济新闻》在内的主流媒体都拒绝刊登这本书的广告。

 

(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日経などの日本の主流メディアは、本の宣伝を拒否した.)

 

 

日文版出版经过
讲谈社原计划于2006年出版此书的日文翻译版,而这个版本包含了149处改动。据作者称,有关靖国神社、山口组、明仁天皇夫妻和德仁夫妻间的紧张关系等内容都遭到了删减。同时按照宫内厅的要求,书中的“抑郁”一词更改为“适应障碍”。

 

(日本語版が発行されました
講談社は当初、2006 年にこの本の日本語訳を出版する予定でしたが、これには 149 の変更が含まれていました。 著者によると、靖国神社、山口組、そして明仁と徳仁の夫婦間の緊張に関する内容はすべてカットされた. 同時に、宮内庁の要請により、本書の「うつ病」を「適応障害」に改めた。)

 

 

本书的作者班·希尔斯在了解日文译版被迫删减了内容后,决定在书的序言内加一条免责声明,然而讲谈社决定取消《雅子妃:菊花王朝的囚徒》日文版的发行。

 

(この本の著者であるベン・ヒルズは、日本語訳が内容の削除を余儀なくされたことを知り、本の序文に免責事項を追加することを決定しました。菊王朝」号。)

 

日本人は「中国には言論の自由がない」と馬鹿にすることがあるが、中国では英語の原著の忠実な中国語訳が、なんの問題もなく出版された。この本に関する限り、言論の自由がないのは、日本である。中国の名誉のため、そこだけは強調しておこう。日本の宮内庁広報室は、これにも抗議をされる御積りであろうか?

次に、宮内庁が2007年2月1日に著者のベン・ヒルズ氏に宛てた、『「プリンセス・マサコ」(ベン・ヒルズ)に関する宮内庁書簡(日本語仮訳)』なる公開書簡を見てみよう。

ベン・ヒルズ氏へ

 

貴著「雅子妃ー菊の玉座の囚人」について,この書簡を送ります。

 

長年皇室報道を専門としてきた或る老練な新聞記者が,この本を読んで,「各ページに間違いがあるのではないかというくらい」不正確な箇所が目につくと書いています。また,より実質内容に関わる観点から,政府は,この本の描いている皇室像が如何に歪んだものであるかに驚き,対応ぶりを検討しています。その間,ここでは,天皇皇后両陛下の側近にお仕えしている立場から,両陛下に直接関わり,しかも明らかに事実と異なる一つの箇所に絞って,問題を提起します。

 

この本の第7章で,貴方は,「天皇には,年間に千件以上・・の公務があるといわれるが,いずれも,・・当たり障りのない行事への,負担のない形式的な出席ばかりである」と述べた上で,「日本の皇室が,ダイアナ妃による・・レプロシー・ミッション・・への支援のような論議を呼ぶ事柄に関わりをもつことはありえない」と断定しています。

 

ここで貴方は,両陛下が,40年にわたってレプロシー,すなわちハンセン病の問題に大きく関与してこられたことを全く無視しています。日本には,全国各地に13箇所の国立ハンセン病療養所があります。両陛下は,1968年,皇太子皇太子妃の時代に,鹿児島県の奄美大島にある療養所をお訪ねになって以来,2005年までの間に,これらの国立ハンセン病療養所のうち青森,群馬,東京,岡山(2箇所),鹿児島(2箇所)および沖縄(2箇所)の各都県にある9箇所を訪ねてこられました。

 

これらの療養所のご訪問に当たっては,入所者と膝をつき合わせ,手を握って,病いと差別,偏見に苦しんできたその人々の苦しみを分かち合い,慰められるとともに,園長,医師,看護師など入所者の世話をしている人々の労をねぎらってこられました。

 

1975年に沖縄県の療養所の一つをお訪ねになった時には,入所者が,御訪問を終えられてお帰りになる両陛下を,沖縄の伝統的な別れの歌を歌ってお送りし,また,後に,感謝の意をこめた詩をお送りしました。これに対し,天皇陛下は,沖縄特有の定型詩を詠んで,この人々の気持ちにお応えになっています(陛下は,さきの大戦で唯一地上戦が行われ,その後1972年まで米国の施政権のもとに置かれることとなった沖縄の人々の苦難を理解する一助として,沖縄の古典文学を学ばれました)。2004年,両陛下は香川県の高松市をお訪ねになりましたが,その折,市の沖合にある小さな島の療養所から入所者が来て,両陛下にお目にかかっています。また,翌2005年の岡山県ご訪問の際は,ほぼ一日をかけて,島にある隣接した二つの療養所をそれぞれお訪ねになりました。

 

これまで入所者にお会いになることができなかった3箇所の療養所については,皇后陛下が,それぞれの園長をお招きになって,現状をお聞きになっています。また,皇后陛下は,政府の委託によって過去の日本政府のハンセン病患者隔離政策を批判的に検証した2005年の報告書が出版された際には,関係者をお招きになって,説明を聴取しておられます。

 

両陛下のこれらの活動は,常に静かに行われてきましたが,両陛下とハンセン病問題に関わる以上の事実は,全て報道され,記録されており,初歩的な調査によって,容易に知りうることであります。

 

また,天皇の公務は,「当たり障りのない行事への,負担のない形式的な出席ばかりである」というのが貴方の見解でありますが,例えば,1975年に皇太子同妃として沖縄を訪問された時には,ご訪問に反対した過激派が至近距離から火炎瓶を投げつけたにもかかわらず,全く予定を変更することなく訪問を続けられました。1995年,戦後最悪の自然災害となった阪神・淡路大震災が発生した際には,被災地に飛ばれ,本土と淡路島の双方にわたって,被災者の避難した小学校の体育館などを回ってその人々と一日を過ごされました。1994年,終戦50年に先立ち,両陛下は,硫黄島に赴かれ,日米双方の戦死者のために祈られました。2005年には,終戦60年に当たり,さきの大戦で激しい戦闘の行われたサイパン島を訪問され,炎天下,島内の日米韓各国民と現地島民の戦没者のための慰霊碑や大勢の婦女子が戦争の末期に身を投げた崖などで心をこめた祈りを捧げられました。

 

両陛下は,社会福祉の分野全般にわたって,この47年,困難を抱えた人々をたゆみなく励まし,慰めてこられました。これまでに,全都道府県の400箇所を超える福祉施設(知的障害者,身体障害者,高齢者,幼児などのための施設)を訪ねられ,外国においても,英国のストークマンデヴィル身体障害者スポーツ・センター(1976),いくつもの福祉施設が集まり,人々がナチス時代にも障害者たちを護り通したドイツの町ベーテル(1993),米国のナショナル障害者サーヴィス・センター(1994)など様々な福祉施設をたずねてこられています。貴方の母国オーストラリアでは,皇后陛下が,パース・リハビリティション病院(1973)を訪ねておられます。

 

貴方は,両陛下のなさっていることが,無意味で形式的なことばかりであると示唆しているように見えますが,仮に,そうであるとするならば,何故,世論調査で,現在の形の皇室に対して,常に75パーセントを超える支持があるのでしょうか。また,何故,両陛下が地方に旅行される度に,何万という人々が両陛下を歓迎するために喜んで沿道に出てくるのでしょうか。

 

以上の諸点について,著者はどのように考えるのか,少なくも,事実関係のはっきりしている皇室のハンセン病への関与に関して,回答を求めたいと思います。

 

侍従長 渡辺 允

 

ここからは、このゴタゴタに関する日本国内の報道を見ていくことにしよう。まずは、「J-castニュース」の『政府が皇太子妃伝記に抗議 著者逆襲「宮内庁はマサコを容赦なくいじめた」』という2007年02月15日付の記事から。

外務省は2007年2月13日、オーストラリア人ジャーナリストが皇太子妃雅子さまについて書いた単行本「プリンセス・マサコ(Princess Masako)」に、事実無根で皇室を侮蔑する内容が含まれているとして、この本の著者と出版社に対して謝罪を求めるとともに抗議したと発表した。この抗議は世界中を駆け巡り、海外でも波紋を呼んでいる。そして、著者は海外メディアに対し「謝罪するいわれはない」と述べるなど事態は混沌としている。

 

著者はオーストラリア人で、東京特派員経験者

 

「プリンセス・マサコ」は、06年にオーストラリアで出版され、皇太子妃雅子さまの皇室内での苦悩などを取り上げた作品で、副題は「菊の玉座の囚人」。著者はオーストラリア紙の記者ベン・ヒル氏で、東京に特派員として滞在した経験を持つ。

 

外務省は2月13日に会見を開き、駐オーストラリア大使を通じてグレイ豪州外務貿易省副次官に抗議文を渡すとともに、宮内庁の渡辺允侍従長署名の抗議文も合わせて提出したと発表した。外務省報道官は会見のなかで、今回の抗議について、

 

「『日本国の象徴』であり『日本国民統合の象徴』としての立場にある天皇陛下をはじめとする皇室の方々、更には日本国民を侮辱するとともに、実態と乖離した皇室像を描いていることについて、日本政府としてこのような書物を看過することはできないということで抗議を行った」と述べた。

 

宮内庁の抗議文では、あきらかに事実と異なる箇所として、同書の「天皇には年間1,000以上の公務があるが、当たり障りのない行事への形式的な出席ばかり」という記述について、明らかに事実と異なると指摘。同書の記述によると「両陛下のなさっていることが無意味で形式的なことばかりと示唆しているように見える」として、「(両陛下が)ハンセン病問題に大きく関与してこられたことを全く無視している」と批判している。

 

一方、こうした日本政府の抗議の情報は海外でも報じられたが、関心はむしろ、「政府」が皇室について書かれた書物に抗議している、という事実に向いているようだ。

 

英BBCは「東京はプリンセス伝記に謝罪を求めている」と題して、政府の抗議を報じたほか、フランスの通信社AFP通信も13日と14日に「日本政府の抗議」を報じた。

 

「謝罪するいわれはない」と猛反発される

 

さらに14日のAFPは、この本の著者に全く謝罪の意志がないことを次のように報じている。

 

「AFP通信の電話取材に対し、ヒル氏は『私を威圧する企てには断固として応じないし、でたらめや私の本についての事実誤認についても応じる気はない』と答えた。また『私たちが謝罪するいわれはないし、また、謝罪の意を示すつもりもない』と明言。さらに、『雅子妃こそ謝罪を受けるに値する唯一の人物だ』と付け加え、今度はヒル氏の方が、皇居の儀礼を監督する宮内庁を、プリンセスの健康状態についての『責任』があるとして、告発(抗議)した」

 

また、ヒル氏は「ラジオオーストラリア」のインタビューにも2月15日に出演し、「宮内庁は雅子妃に対して跪いて謝罪すべき」とAFP通信へのコメントと同様の趣旨の発言をしたほか、「宮内庁は雅子妃を容赦なくいじめた。(宮内庁の)官僚たちは決して彼女を好きではなかった」と宮内庁を痛烈に批判。日本政府が求めるのとは全く逆の反応を示している。

 

次に、「J-cast」による2007年02月20日付の記事『「プリンセス・マサコ」出版中止 著者は「政府の検閲」と反発』を見てみよう。

オーストラリア人ジャーナリスト、ベン・ヒルズ氏が皇太子妃雅子さまについて書いた単行本「プリンセス・マサコ(Princess Masako)」をめぐって、外務省や宮内庁が著者や出版社に対して抗議を行い、その数日後、日本語版の出版中止が発表された。出版者側はその経緯を「事実誤認に対して、ヒルズ氏が謝罪に応じないため」としているが、ヒルズ氏側は「日本国民は本の内容を知る権利がある」「あからさまな言論の自由に対する攻撃だ」などと、一歩も引かない構えだ。

 

問題になっている「プリンセス・マサコ」は、東京に3年間特派員として駐在した経験もあるヒルズ氏が、雅子さまが抱える苦悩について描いた本で、2006年末に豪州で出版された。同書では、宮内庁高官が雅子さまに対して「女の子では不十分だから男の子をつくるように」と発言した、とされているほか、雅子様さまが不妊治療を受けたり、雅子さまの病名が「適応障害」ではなく「鬱病」である、といったことを強く示唆している。

 

この衝撃的な内容が波紋を呼び、07年2月13日には、外務省が「事実無根の内容が多数含まれ、皇室を侮辱している」として、著者と出版社に対して抗議の書簡を渡した、と発表した。

 

これに対してヒルズ氏は、J-CASTニュースでも既報のとおり、全く謝罪の意思がないことを明言していた。

 

アマゾンの日本サイトで一番よく売れている洋書

 

これを受けて、3月に刊行を予定していた、同書の日本語版が「お蔵入り」になる可能性が出てきた。刊行に向けて作業を進めてきた講談社が、2月16日、同書の出版中止を発表したのだ。翻訳作業中に原書に事実誤認が多数見つかり、ヒルズ氏の了解を得た上で再調査・修正を経て、日本語版の原稿はほぼ完成していたというが、ヒルズ氏の態度に講談社は「版元と著者との信頼関係を保つことはできない」と判断、出版中止に至ったという。

 

これに対して、ヒルズ氏はさらに反発を強めている。同氏は2月17日、AP通信に対して、講談社の決定に「驚き、落胆している」とした上で、「私たちはこれを、あからさまな、表現の自由に対する攻撃だとみなす」と答えている。さらに、日本政府を「他の先進国では全く受け入れられない検閲を実施し、講談社に(出版を止めるように)圧力をかけた」と非難。さらに、このように主張した。

 

「皆さんが私の本を嫌いか好きかは、気にしていません。ですが、自分で本を読んで、自分の考えを決める機会は与えられるべきです。日本国民は、皇室で何が起こっているのかを知る権利があります」
ヒルズ氏は、同様のコメントをAFP通信とロイター通信にも寄せ、講談社以外にも3つの出版社が著者に接触していることを明らかにしている。今後は、これらの出版社の動向に注目が集まると見られる。もっとも、ロイター通信は2月19日、今回の騒動について、こう冷ややかに評している。

 

「ヒルズ氏の本をめぐる騒動は、著者にひとつの良い結果をもたらした。現在この本は、アマゾンの日本版サイトAmazon.co.jpで、一番よく売れている洋書なのだ」

 

続いて「J-cast」の『渦中の「プリンセス・マサコ」、第三書館が出版へ』という2007年08月07日付の記事を見てみよう。

第三書館(東京都新宿区)は2007年8月6日、豪ジャーナリストのベン・ヒルズ氏が皇太子妃雅子さまについて書いた単行本「プリンセス・マサコ(Princess Masako)」の日本語版を07年9月10日に出版することを明らかにした。この本には、宮内庁高官が雅子さまに男の子をつくるよう発言したなどと書かれており、同庁や外務省が事実無根などとして著者に抗議していた。当初は講談社が出版を計画していたが、同社は07年2月に「事実誤認に対して、ヒルズ氏が謝罪に応じない」として出版を中止していた。第三書館は「謝罪しないというのは出版中止の理由にならない」(北川明社長)としている。同社発行の日本語版の翻訳者は藤田真理子氏。四六判352ページ。税込みで1,890円。

 

さらに、「J-cast」による2007年09月21日付の『プリンセス・マサコ著者が講談社を批判』という記事を見てみよう。

外務省と宮内庁が「内容が事実と異なる」と抗議し、その後講談社からの日本語版の刊行が2007年02月に急きょ中止された「プリンセス・マサコ」が、07年9月になって第三書館から改めて出版された。これを受け、著者のジャーナリスト、ベン・ヒルズ氏と第三書館の北川明社長らが2007年9月21日、東京・有楽町の外国特派員協会で会見を開いた。ヒルズ氏は、講談社による「検閲」があったとし、同社を批判した。

 

同書は、06年にオーストラリアで出版。「雅子様は適応障害ではなくうつ病」「愛子様は体外受精によって生まれた」といった衝撃的な内容が話題を呼んだ。07年2月上旬、外務省と宮内庁が、事実無根で皇室を侮蔑する内容が含まれているとして、この本の著者と出版社に対して抗議、謝罪を求めた。ヒルズ氏は「謝罪するつもりはない」とつっぱねた。この時点で、日本語版が07年3月に講談社から出版される予定だったが、講談社はヒルズ氏の態度を問題視。2月16日になって講談社は「版元と著者との信頼関係を保つことはできない」と、出版中止を発表した。

 

結局は、9月になって第三書館から「完訳版」が出版され、お蔵入りは免れた。それでも、ヒルズ氏の怒りは収まらないようで、「講談社は、勝手に原書から記述を149ヶ所も削除しました」などと主張した。

 

一方、第三書館の北川明社長は、「プリンセス・マサコ」の新聞広告の掲載を大手6紙に断わられたことへの不満を訴えた。

 

同書は、日本に先立って台湾で出版され、すでに5万部を売り上げてベストセラー入りをしている。会見にも複数の台湾人記者が出席し、関心の高さを物語っていた。中国、インドネシア、トルコ、ポーランド、ルーマニアでの出版計画も進行中。日本国内でもすでに3万部を印刷、実売は1万部程度とのことだ。

 

海外では広く販売されているにもかかわらず、日本の新聞・雑誌などが、政府の方針に従って宣伝広告の掲載をしないと決めた『プリンセス・マサコ』。“Princess Masako” 事件に関する前編はここまでとなる。

私はいずれ “菊のカーテン” について書きたいと思っており、そのケーススタディーとして、この本の出版に関して起こったゴタゴタを私的な意見を入れず、詳細に残しておきたいと考えている。よって、体外受精やうつ病といったショッキングな言葉も、そのまま引用させていただいた。

なお、当時この話題を取り上げた日本のインターネット・ニュースは、他にもあった。さらに著者のヒルズ氏はどのようなことを最後に語っていたのか。第8話の《後編》では、そのあたりについて論じてみたい。

(理学博士:西村泰一/編集:エトセトラ)

 

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★ここでちょっと西村先生のデザイン画を紹介★

2011年の作品『The Black Hole War』 
2011年の作品『The Black Hole War』

【解説】
Black Holeは熱を持つので、Hawking放射と呼ばれる電磁放射の形でEnergyを放出する。

その結果、Black Holeは最後には質量を失い、完全に蒸発し、後に残るのはHawking 放射の光子だけである。

面白いことに、Black Holeに落ち込んだ物体の質量は必ずHawking放射として戻ってくる。

しかしHawkingはBlack Holeに飲み込まれた情報は永遠に失われると主張した。

これに疑念を表したのが、Susskindや彼が尊敬してやまないGerard ‘t Hooft(1999年にVeltmanと一緒にNobel物理学賞を受賞)である。こうしてBlack Hole戦争は勃発する。1981年の話である。

HawkingはBlack HoleがRandomさを作り出すと主張し、
そのためHawking放射がBlack Holeの近傍を脱出する前に情報はすべて失われると主張した。

量子力学は自然法則にRandomさを持ち込むが、これはかなり制御されたものであるにもかかわらず、Hawkingは量子力学が許容している以上のRandomさを主張している。そのため、

このHawkingの主張はParadoxicalに響くのである。このHawkingの間違いを 証明するのにSusskindは28年という時間を費やした。Susskindの勝利の雄叫びは『宇宙のランドスケープ 宇宙の謎にひも理論が答えを出す』(日経BP社, 2006)の最終章でもみることが出来るが、彼はそれだけでは満足せず 『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』(日経BP社, 2009)という一書をこの話題にだけ費やした。なかなかPolemic(論争好き)な御仁である。ここではこの二人の論争を芸術的に表現してみた。
御笑覧いただきたい。
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【西村先生のご経歴】
1966年4月ー1972年3月  洛星中高等学校
1972年4月ー1976年3月  京都大学理学部
1976年4月ー1979年10月 京都大学大学院数理解析専攻
1979年11月ー1986年3月 京都大学附置数理解析研究所
1986年4月ー2019年3月  筑波大学(数学)

画像および参考:
『宮内庁』「プリンセス・マサコ」(ベン・ヒルズ)に関する宮内庁書簡(日本語仮訳)

『Wikipedia』Princess Masako: Prisoner of the Chrysanthemum Throne

『宮内庁』A letter from the Imperial Household Agency

『Wikipedia』ベン・ヒルズ

『Wikipedia』プリンセス・マサコ

『Amazon』雅子妃 ― 菊花王朝的囚徒(Traditional Chinese Edition of ‘Princess Masako : Prisoner of the Chrysanthemum Throne’, NOT in English Paperback – January 1, 2007)

『Wikipedia』雅子妃:菊花王朝的囚徒

『J-cast』政府が皇太子妃伝記に抗議 著者逆襲「宮内庁はマサコを容赦なくいじめた」

『J-cast』「プリンセス・マサコ」出版中止 著者は「政府の検閲」と反発

『J-cast』渦中の「プリンセス・マサコ」、第三書館が出版へ

『J-cast』プリンセス・マサコ著者が講談社を批判

『つくばリポジトリ』The Black Hole War