【皇室・都市伝説を紐解く】悠仁さまは若かりし日の清宮貴子さまと激似 思い出すのは紀子さまの「上皇ご夫妻からお預かりした命」発言

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清宮貴子さまと悠仁さまは目元がソックリだ(画像はネットで拾ったもの)
清宮貴子さまと悠仁さまは目元がソックリだ(画像はネットで拾ったもの)

 

先日、弊ブログで『これぞ遺伝子の不思議…? 秋篠宮さまとAZ氏は「手つき」もソックリだった』という記事を執筆したところ、大きな反響があった。そんな中、ある方から「悠仁さまと上皇さまの妹・清宮貴子さまが、あまりにも似ていないでしょうか」というメッセージをいただいた。



 

◆清宮貴子さまとは…?

1939年(昭和14年)3月2日、昭和天皇と香淳皇后の第7子で第5皇女子、末っ子として誕生した清宮貴子さま。今上陛下、秋篠宮さま、黒田清子さんにとっては叔母になる。

Wikipediaを確認してみたところ、貴子さまは日本輸出入銀行の行員だった島津久永氏と1959年に20歳で婚約し、翌年21歳でご結婚されている。久永氏の父・島津久範氏は伯爵で、香淳皇后の母方の叔父だという。

島津氏は家族を連れてワシントンD.C.、シドニーなどに駐在し、ソニー株式会社に転職すると取締役になり、財団法人ソニー教育振興財団専務理事や財団法人世界自然保護基金ジャパン副会長などを歴任された。

島津久永氏と婚約した頃の清宮貴子さま(画像はネットで拾ったもの)
島津久永氏と婚約した当時20歳の清宮貴子さま(画像はネットで拾ったもの)

 

一方の貴子さまは降嫁後、インテリアコーディネーターの資格を取って東京プリンスホテルのショッピングモールに勤務し、やがて取締役に就いた。タレントとしても活動し、1970年(昭和45年)の大阪万博では、テレビ番組で開会式・閉会式の司会を務めたそうだ。

清宮貴子の「す」がのみや「た」かこという読みから、「おスタちゃん」の愛称で親しまれた貴子さまの20歳当時のお写真は、もうすぐ17歳になられる悠仁さまと確かにそっくり。悠仁さまが両親のどちらにも似ず、祖父の妹と「瓜二つ」というわけだ。

悠仁さまは昭和天皇の妹・貴子さまにそっくりなのでは…?(画像はネットで拾ったもの)
ただし、貴子さまはよく笑う朗らかなお人柄で人気があったという(画像はネットで拾ったもの)

 

◆上皇さまは紀子さまに何を?

情報を下さった方と筆者は共に、ここで2019年6月にNEWSポストセブンが掲載した『悠仁さまのお隣には紀子さまおひとり、なぜなのか』という記事を思い出した。そこにとても奇妙な一文があったからだ。

悠仁さまが上皇ご夫妻からお預かりした命とは、どういう意味なのか(画像はネットで拾ったもの)
悠仁さまが上皇ご夫妻からお預かりした命とは、どういう意味なのか(画像は「NEWSポストセブン」のスクリーンショット)

世の中の嫁は、子を出産した後、こんなことを口にするものだろうか。

もしもママ友が、第3子について「この子は主人の親からお預かりした大切な命なの」などと言ったなら、こちらは「年齢的にお義母さんの卵子は無理。その了承や同意を得て、お義父さんから精子を譲り受けたのかも…。上に2人子供がいるなら問題なさそうなのに、なぜそんな不思議な試みを?」と思うことだろう。

上皇さまは「孫3人が全員女の子」という状況のなか、平成15年(2003年)、前立腺の手術を受けられている。そのときにもしも精子の採取も行われていたのなら、2005年に紀子さまに「男児を産んでみませんか?」といった話が持ち掛けられたとしても、何ら矛盾しないように思う。



 

◆まとめ:DNA鑑定は海外の王室でも当然の “手続き”

今や諸外国でも、DNA鑑定結果を経ないと陛下だ、殿下だと呼んでもらえない時代になっている。もしも昭和天皇、上皇様の血を、そのようにして悠仁さまに継がせたのだとしたら、皇統を秋篠宮家に移すという観点からも、DNA鑑定を行うべきは父親の文仁殿下であろう。

情報を下さった方は、メッセージのなかで「秋篠宮さまが、自分は兄と歳が近いので即位は無理とおっしゃるのは、ご自分のDNA鑑定を避けるための布石と見ています」と書いておられた。ちなみに、精子凍結の技術は30年以上も前に確立しているという。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)



参考および画像:
『NEWSポストセブン』悠仁さまのお隣には紀子さまおひとり、なぜなのか

『エトセトラ・ジャパン』これぞ遺伝子の不思議…? 秋篠宮さまとAZ氏は「手つき」もソックリだった

『Wikipedia』島津貴子