川嶋辰彦氏ご逝去から2年 元同僚が投稿していた貴重な「悠仁さまとお耳がお揃い」写真に思うこと

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紀子さまのお父様でいらっしゃる川嶋 辰彦が、2021年11月4日に亡くなられてから早くも2年が経った。三回忌は無事執り行われたのだろうかと何気なくネットの情報を見ていたところ、Wikipediaである事実を知り、さらに――。



◆死因は中皮腫だった

聖路加国際病院にて81歳で亡くなられた辰彦氏について、死因は「中皮腫」と公表されたとWikipediaにある。

中皮腫の8割以上が原因はアスベスト(石綿)の吸入とされており、石綿を吸い込んでから発症まで30~40年かかり、発症後1年で半数の患者が、2年で8割の患者が亡くなる怖い病気だ。

ご高齢であることを考えると、発症は2020年あたりだろうか。公表されているご経歴から、範囲を広めにとって「1975年から1990年までのどこでアスベストへの被爆があったのか」を調べてみることにした。

範囲を広めに、1975年から1995年のあたりで、たとえ短期間でもアスベストへの被爆があったのか(画像は『学習院大学』のスクリーンショット)
範囲を広めに考えると1975年から1990年のあたりだろうか、一体どこでアスベストへの被爆が?(画像は『学習院大学』のスクリーンショット)

 

辰彦氏は1977~1979年まで、国際応用システム分析研究機構(IIASA)の主任研究員としてオーストリアで過ごしておられたので、まずはそちらの公式HPほか英語の情報を確認。するとそこに、辰彦氏への追悼文を元同僚が連名で寄せていることを知った。

IIASAのホームページには、川嶋辰彦氏のご逝去を悼み、元同僚たちから温かいメッセージが(画像は『IIASA』のスクリーンショット)
IIASAのホームページには、川嶋辰彦氏のご逝去を悼み、元同僚たちから温かいメッセージが(画像は『IIASA』のスクリーンショット)

 

◆お人柄のよさが評判だった辰彦氏

その追悼文を読む限り、辰彦氏は人物的にも高く評価されていたようだ。少しばかり抜粋してみたい(原文はこちら)。

タッツと彼の家族は、スキー旅行や国民の祝日など、IIASAが開催した国際的なイベントにすべて参加していました。

 

1990年に行われた秋篠宮殿下と娘の紀子さまのご結婚式には、IIASAの同僚数名が招待されました。

 

彼は明るいお人柄で礼儀も正しく、「IIASAファミリー」として、さまざまな形で国際親善に貢献しました。

 

そして追悼文の最後に、かつて見たことのない1枚の写真を発見した。正直なところ、ここでアスベストの件はもうよくなってしまった。



◆おじいちゃまと同じものをお耳に

2010年に日本を訪問したという、IIASAの元同僚ギャビー・オラック氏。タッツ氏を個人的に訪ねた際、秋篠宮家の人々、そして当時4歳前後であろう孫の悠仁さまにも会わせてもらい、おふたりのふれあいの様子を撮影されたようだ。

亡き川嶋辰彦氏と悠仁さま。さぞかし可愛いがられたことだろう(画像は『IIASA』のスクリーンショット)
亡き川嶋辰彦氏と悠仁さま。さぞかし可愛いがられたことだろう(画像は『IIASA』のスクリーンショット)

 

最初に強烈に目に飛び込んだのは、なかなか頑丈そうなスニーカーの反射板による光。そして、奥にゴチャゴチャと置いてあるものは何なのかと画像を拡大してみたところ、ニワトリの置き物だとわかった。つまり、この写真が撮影されたのは秋篠宮邸なのであろう。

そこで筆者はあることに気付いた。辰彦氏もだが、悠仁さまもお耳に補聴器(らしき物?)を装着していらっしゃるのだ。生まれ持ったハンディキャップを特別視したり、写真掲載を躊躇したりするほうが、よほど偏見に満ちていておかしいと考える欧米人は多い。

4歳ごろの悠仁さまは、何らかの理由で補聴器をなさっていたのだろうか(画像は『IIASA』のスクリーンショット)
4歳ごろの悠仁さまは、補聴器をなさっていたのだろうか(画像は『IIASA』のスクリーンショット)

 

悠仁さまの聴覚に関して宮内庁から何か発表されたことはないが、マカトン・サインを使用しておられる動画は拝見したことがある。ただし、ご成長後のお写真に補聴器らしきものを見たことはないので、「人工内耳を装用」という噂(テーミス誌が紹介)は正しいのかもしれない。

 

◆手術時期が早いほど上がる「語彙発達指数」

こちらは東京医科大学耳鼻咽喉科学分野、東京医科大学病院聴覚・人工内耳センター、大東文化大学文学部教育学科が、共同で行った調査研究の結果を『人工内耳装用児の小学校就学前後期までの語彙力の検討』という論文にまとめたもの。聴覚に問題を持って生まれたとしても、早めの人工内耳装用でぐんぐんと言語を習得し、語彙力が向上するそうだ。

 

今回我々は,小学校就学前後期以前における人工内耳装用児の語彙力を,良好群~不良群の6群に分類した。88例中32例(36.4%)が就学時期までに健聴児の生活年齢相当の理解語彙力を獲得していた。一方で63.6%にあたる56例の装用児の理解語彙力は,やや不良~不良な状態であり,健聴児との顕著な成績差が認められた。

 

手術時期に注目すると,4歳時点で語彙発達指数が85以上になった群において手術時期が早い傾向がみられた。他方,補聴器開始年齢,人工内耳装用閾値については,各群で大きな差は認められなかった。就学時期までの幼児期段階では,コミュニケーション方法として主に聴覚を使用する症例が多い傾向があり,手話併用例は少なかった。

 

しかし,小学校就学以降は,理解語彙の不良例においては手話併用例が増加する傾向が認められた。聴覚障害児の療育や教育の目的は幼児期の言語発達を促し,就学以降の教科学習や社会生活に求められる書き言葉の獲得にある。今後は語彙以外の言語の側面も含めた言語活動全体の発達を考慮し,長期に渡って経過をサポートしていく必要がある。

引用:『J-STAGE』人工内耳装用児の小学校就学前後期までの語彙力の検討

 

その後、きわめて優秀な生徒以外は入れない筑波大附属高等学校に進学された悠仁さま。FRIDAYの最新記事には、いずれ東大・京大・筑波大などを狙い、成績の伸びが思わしくなければ早慶上智あたりか、といった話も書かれていた。

聴覚と言語の習得、そして語彙力と学習能力は密接な関係にある。悠仁さまはどこかの時点で手術をされ、そこからはトップクラスの成績を目指して大変な努力を続けてこられた ― つまり、これはサクセスストーリーと捉えることもできるのではないだろうか。



◆まとめ:いっそ、聴覚障害があるお子様たちのロールモデルに

聴覚その他、何らかの障害を持って生まれたお子様は大勢おり、それは決して特別なことではない。悠仁さまはいっそのこと、手話、人工内耳手術と言語習得や語彙力の向上について研究をされ、実体験を元に魂のこもった作文を書かれてみてはいかがであろうか。

困っている人たちに夢や希望を与えるようなご存在であれば、悠仁さまを含め、秋篠宮家の印象もかなり異なってくるように思う。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

その他の画像および参考:
『Wikipedia』川嶋辰彦

『IIASA』Professor Tatsuhiko “Tats” Kawashima, IIASA 1977-79 (1940-2021)

『学習院大学』川嶋辰彦教授略歴ならびに著作目録