【皇室・都市伝説を紐解く】上皇后さまの謎その1:影武者説が存在 「だって胞状奇胎で子宮を…」
1963年3月下旬に異常妊娠のひとつ、「胞状奇胎」で緊急入院された美智子さま。その時、子宮は本当に温存されたのであろうか。医師に指示された2年間の避妊を守らないまま、アーヤが1965年11月に誕生するなんて…。
弊ブログで先日、『これぞ遺伝子の不思議…? 秋篠宮さまとAZ氏は「手つき」もソックリだった』という記事を執筆したところ、大きな反響をいただいた。
そんな中、数ヶ月前からメールでやり取りをするようになった海外在住のある方から、「『ガールズちゃんねる』さんに貴重な情報が寄せられていた。サーヤは美智子さまの影武者が産んでいた可能性がある」と教わった。
“ナルちゃん” こと今上天皇がお生まれになった後、美智子さまが異常妊娠のひとつである「胞状奇胎」という病気で緊急入院されたことは、筆者も知っていた。そのとき子宮は温存されたことになっていたが、菊のカーテンの奥では何が起きていても不思議はない。紹介された数々の写真と投稿内容を確認して、筆者も強いショックを受けてしまった。
◆胞状奇胎でご入院も医師の指示を守らず?
皇太子妃だった美智子さまは1963年3月22日、第2子を妊娠されるも体調を崩された。宮内庁病院にて「胞状奇胎」が発覚して緊急入院し、流産の処置手術を受けたという。
子宮内にぶどうの房のような粒々が現れることから、昔は「ブドウ子」とも呼ばれた胞状奇胎。精子と卵子の受精時に原因不明の異常が起こるもので、1度経験した者がそれを繰り返す確率は約2%と低いが、リスクで言えば正常妊娠経験者より10~15倍高いそうだ。
胞状奇胎がこわいのは、1~2%に稀少癌である悪性の「絨毛癌」が認められ、子宮の壁に胞状奇胎の細胞が侵入して腫瘍を形成する、“前がん状態”の「侵入奇胎」を10~20%が発症することだという。
癌、あるいは癌化の不安があるため、子宮を残すならその後は定期的な診断が必要になる。そうした理由から、美智子さまは医師から2年間の懐妊を禁じられたという文春オンラインのある記事を拝見した。
つまり第2子の出産は、早くとも1966年の年明け以降になるだろう。だがアーヤは1965年11月に誕生している。主治医の指示を守らなかった、などということがあって良いのだろうか。
◆あの時代は子宮全摘も多かったのでは?
今からちょうど60年前、美智子さまに起きた胞状奇胎。その頃の診断や治療法については、大阪大学医学部産科婦人科学教室が『J-STAGE』に投稿した、昭和42年9月付の『絨毛性腫瘍の治療』というボリュームのある論文が非常に参考になったが、そこにこんな一文があった。
胞状奇胎に対し、現代の医学では「子宮の内容物を完全に掻爬し、細胞の顔つきが怪しくないかを見極め、血液中のヒト絨毛性ゴナドトロピン/hCG (human chorionic gona- dotropin)の値を検査。それらの結果をふまえ、治療方針を考えればよいという。
それでも稀少癌のひとつ、絨毛癌の死亡率は高い。細胞の顔つきが怪しい場合はもちろん、絨毛性疾患への移行を恐れ、現代でも、すでに子供がいる女性では子宮の全摘が薦められることも多いそうだ。
おまけに60年も前のことである。大切な皇太子妃・美智子さまに対しては、予防的意義をより強く込め、「子宮温存よりは全摘が安全」と勧められたのではないだろうか?
◆人形のような次男が誕生
兎にも角にも、1965年11月には次男のアーヤが誕生した。生後半年を迎えた翌年の春、ご静養で葉山に向かう列車の窓には、薄い板状の腕を持った、硬い人形のような礼宮を抱いた美智子さまのお姿があった。
「ファンから人形を渡された」なる解釈もあるらしいが、女官が大事そうにその子を抱いて歩いている写真もX(Twitter)で話題になっていた。
そもそも爆発物が仕込まれている危険性がある人形を、ファンを名乗る人物からさっと受け取るのは迂闊すぎる。宮内庁が用意した赤ちゃんでなければ、安心して抱っこなどするわけがない。
◆サーヤちゃんは、かわいがられたのだろうか
さらに1969年4月、皇太子ご夫妻に初めての女の子が誕生した。結婚10年目にして誕生した娘というと、片時も離さず抱っこし、着せ替え人形のように可愛がったりする夫婦は多い。だがサーヤちゃんはどれほどかわいがられていたのだろう。
どの報道写真を見ても髪の毛はボサボサ、大切な儀式のときでもこの調子だった。
子育て期にあった皇太子ご一家の親子の写真、映像といえば、常に主役は美智子さま。“私の美しいママぶりを見て、見て、見て!” といわんばかりで、サーヤちゃんは可愛いがってもらっているという印象が薄かった。
1993年3月の胞状奇胎発覚をきっかけに、仮に美智子さまが妊孕力(にんようりょく)を失っていたとしたら、それ以降のお子様たちは、誰かが産んだ子供を譲り受けたと考えるしかない。
実際に昭和30年代までは、出産直後の子を他人がもらい受け、実子として育てる「藁(わら=産床)の上からの養子」という方法は、決して特別なことではなかった。となるとサーヤちゃんはどなたが産んだ子なのか。
◆「美智子さま」はお1人ではない!?
美智子さまの衝撃的な写真や情報は、『ガールズちゃんねる』さんの “メーガン妃の父トーマス・マークル、孫に会いたい「裁判所に申し立てる」”、“天皇・皇后両陛下、今春に訪英” というトピックスにたっぷりとあるという。まず驚いたのは、こちらの写真だった。
紀宮さまを抱っこして砂浜に座っているこちらの女性は、美智子さまのようにも見えるが、お顔立ちがちょっと違う。そのトピックでは、美智子さまにそっくりな女官が雇われ、代理母となってサーヤを生み育て、影武者として表舞台でも時々活躍していた可能性があるという説が大きな支持を集めていた。
次の写真は、その女性が立っているお姿を捉えた写真だった。髪型も同じに盛り上げ、ドレスを着てそれなりの場にもお出ましになられているようだが、お顔立ちがやはりどこか異なるようだ。
◆身長が違う
上皇さまより美智子さまのほうが高身長、というのが近年の多くの国民における認識だ。だが、実際はそうでもないのかもしれない。
ハイヒールを履かず、平らな場所でご夫妻が寄り添っている写真を確かめると、リアル「美智子さま」は上皇さまと同じくらいの背だが、もう片方の「美智子さま」は圧倒的に背が高いことがわかる。
以前はどうだったのか、お二人ともテニスシューズなどを履いたお姿だと比較しやすいだろう。
宮内庁が公式に示してくるお写真でも、上皇さまのほうが身長が高いことがわかる。
◆まとめ
もはや、「美智子さま」は3人くらいいらっしゃるのかも…とは勘繰りすぎであろうか。
菊のカーテンの奥で行われていたことは、国民にはさっぱりわからない。だが、私たちがかつて抱いていた「良妻賢母の美しい美智子さま」のイメージには、もう騙されたくない。
その2では、「その美容施術は一体どこで受けられたのか」をお送りしたいと思う。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『週刊女性PRIME』美智子さまのご体調に、老年医学の専門家が指摘する“長生き病”とサルコペニア
・『名古屋大学医学部産婦人科』絨毛性疾患
・『文春オンライン』ご懐妊中の紀子さまのお電話に……美智子さま「異常妊娠の記憶」と「命のスープ」
・『産婦人科・長尾クリニック』胞状奇胎と診断され流産手術を受けました
・『FC2 雅子様大好き』1986年前半のみなさま♡大手術を乗り越えた美智子様♡万歳三唱なんてしないもんね!
・『J-STAGE』大阪大学医学部産科婦人科学教室(主任 足高善雄教授) ― 絨毛性腫瘍の治療
・『女性自身』美智子さま 上皇さまとの外出にもSNS上に“誹謗”投稿が噴出…ご成婚64周年の苦難
・『宮内庁』天皇陛下お誕生日に際し(平成19年)
・『GETTY』Empress Michiko
・『ガールズちゃんねる』メーガン妃の父トーマス・マークル、孫に会いたい「裁判所に申し立てる」
・『ガールズちゃんねる』天皇・皇后両陛下、今春に訪英
・『ハフポスト日本版編集部』天皇陛下が60歳の誕生日。幼少期からの歩みを画像集で振り返る ― 軽井沢の皇太子ご一家(1965年07月26日)
・『朝日新聞DIGITAL』皇室と鉄道「お召し列車とともに」