【皇室、徒然なるままに】第22話 統一教会とKCIA(大韓民国中央情報部) 西村 泰一

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「KCIA日本支部」とまで言われた旧統一教会について(画像は『VOD劇場』のスクリーンショット)
「KCIA日本支部」とまで言われた旧統一教会。本部の所在地名から、通称は「南山(ナムサン)」(画像は『VOD劇場』のスクリーンショット)

先に執筆した『筑波大学の話題の元学長・福田信之氏を論じる(第二部)』という記事で、最後に論じたのは《韓国の対日工作機関・統一教会》であった。

旧統一教会が日本において糾弾される根本的な理由は、「如何わしい宗教教団だから」ではない。教祖の文鮮明が韓国の独裁者・朴正熙の庇護を受けるようになって以来、同教会は「KCIA(大韓民国中央情報部)の指示で動く対米対日工作機関だ」と報じられてきたことを、私たちは無視してはならないのである。

今回は、その「KCIAと統一教会」の密接な関係についてもう少し踏み込んでみたいと思う。



 

◆ウォーターゲート事件

米国民に強い衝撃を与え、共和党、アメリカの政治、大統領職への信頼の念を失わせた1972年の事件。

同年6月 17日、ワシントン D.C.のウォーターゲート・ビルにある民主党全国委員会本部に5人の男が侵入した。彼らは共和党に雇われ盗聴装置を仕掛けて現場で逮捕され、ニクソン大統領再選委員会ならびに大統領の側近ら24名もこの計画に関与していたとして起訴された。

さらに大統領自身が事件のもみ消し工作に動き、連邦捜査局(FBI)に捜査中止の圧力をかけるなどしていた疑惑も浮上。議会は大統領に証拠となる盗聴テープの提出を要求し、最高裁判所がそれを支持したことから、下院司法委員会が大統領の弾劾を可決した。

事件から約2ヶ月後、ニクソンは「罷免よりは自ら」と辞任届をキッシンジャー国務長官に渡したという。任期の途中で大統領が辞任するなど前代未聞のことであり、日本でも連日のように大々的に報道された。

 

◆コリアゲート事件

その4年ほど後の1976年に米国で発覚したのが、コリアゲート事件と呼ばれる政治スキャンダルである。これについてはWikipediaで見てみよう。

大韓民国中央情報部(KCIA)が実業家・朴東宣を通じて贈賄をし、米国政界に影響力を与えようとした証拠が見つかった。「ウォーターゲート事件」後、当時の米国大統領ニクソンが計画していた在韓米軍撤収計画を覆すことが主要目的の1つと考えられていた。

アメリカ合衆国下院は、「コリアゲート事件」のスキャンダルの真相を調査するためにフレイザー委員会を設置した。その後の公聴会で、KCIAの元部長・金炯旭や米国統一教会のさまざまなメンバーが、朴東宣の関与を証言した。

1977年9月に朴東宣は「アメリカ政界への贈賄」などの罪でアメリカで起訴された。朴東宣について、韓国政府は免責を得なければ帰国させないとしたが、免責は拒否され、朴は韓国に留まった。

また、フレイザー委員会は中央情報局(CIA)機密文章を紹介し、1954年に文鮮明によって設立された統一教会は、1961年に大韓民国中央情報部(KCIA)部長の金鍾泌の指示で「韓国政府機関」として再組織され、アメリカや日本で政治工作を行っていることを明らかにした

我々にとっては、3番めの話(太字)が重要になる。つまり統一教会は韓国の政府機関であり、アメリカや日本で政治工作を行う機関であるという点である。

 

文鮮明は韓国内に統一教会を組織すると、その5年後には日本にも教会を設置、それが1964年には日本でも宗教団体として認定された。そして文鮮明は1965年、おそらく岸信介の仲介によって、三笠宮と会談している。1960年代には、岸信介や笹川良一といった多くの保守系の人物が、激烈に反共を唱える統一教会に取り込まれている。

筑波大学第3代学長の福田信之が、統一教会に骨の髄まで飲み込まれたのも、やはり1960年代である。1970年代はじめには、皇太子ご夫妻(現上皇ご夫妻)も統一教会傘下のLittle Angelsの日本公演に足を運ばれている。

 

民主党が政権をとっていた2011年、自民党の国会議員は、菅首相や野田首相が在日韓国人の会社から資金援助を受けたことを問題視して、舌鋒鋭く追求しておられた。資金援助を受けると、その政治家が外国のために働き国益を疎かにしかねない。確かに正論ではあった。だが、それを言うなら、外国の工作機関と親密な関係を築くなどは、もっと突拍子もない話であろう。

昨年の山上容疑者の安倍晋三元総理の暗殺後、山上容疑者の動機が明らかになるにつれ、国民世論は「統一教会許すまじ」となった。また、多くの政治家が統一教会と距離をとろうとしているように見えたが、コリアゲート事件が報じられた1976年に、なぜそれが起きなかったのだろうか。それを不思議でならないと思うのは、私だけであろうか?

ウォーターゲート事件なんかよりも、日本人にとってはコリアゲート事件のほうが遥かに重要だと私は思うのだが、新聞やテレビの報道は前者のほうをはるかに派手に報じていた。いったい何故であろうか?

 

◆KCIA(大韓民国中央情報部)

次にKCIAについて『Wikipedia』で見てみよう。

1961年5月16日、朴正煕(パク・チョンヒ)による軍事クーデターが発生。それから約1ヵ月後の6月10日、大韓民国国軍の諜報機関である対敵諜報部隊(Counter Intelligence Corps、CIC。アメリカ陸軍にも同名部隊がある)のメンバーを中心として正式に発足した。

組織・職員・予算は非公開とされ、職員は公募でなく生え抜きの軍人から約10万人が選抜され、主要な任務は北朝鮮に対する諜報活動及び工作員の摘発であったが、軍政時代は反政府運動の取締りにも辣腕を発揮した。根拠法は国家保安法と社会安全法(現:保安観察法)。

本部の所在地名から、「南山(ナムサン)」と通称され、国民生活の隅々まで監視し、朴の独裁に反対する国民を摘発し、職務として西氷庫などで連行した被疑者に対する拷問を行い、殺害することもあったため、国民から恐れられた。

初代部長の金鍾泌は1963年1月までの在任中に、統一教会を韓国の政治的目的のために再組織し、国内外で政治工作を行った。



◆金大中氏拉致事件

1973年8月8日、韓国の元大統領候補で「民主主義の活動家」として名声を博していた金大中(キム・デジュン)氏は、東京都千代田区のホテルに滞在中、暗殺目的で拉致され、船で連れ去られた。

日本の警視庁は、ホテルに残された指紋などから駐日韓国大使館の1等書記官を容疑者と断定、出頭を要請したが韓国側は拒否した。

事件の5日後、大中氏はソウル市内のガソリンスタンドで解放され自力で自宅に戻ったが、その後は身辺保護を理由に当局に軟禁されるようになった。

事件の背景にあったのは、1971年の大統領選挙だった。クーデターを経て大統領になっていた朴正煕の、民主共和党とは名ばかりの長引く軍事政権に国民は反発を強め、対立候補であった金大中氏をわずかの差で抑え勝利した。

大統領選の直後には、金大中氏の乗った車が大型トラックに突っ込まれて3人が死亡。金は腰と股関節に重傷を負った。これは、金大中氏を脅威の存在として恐れるようになったKCIAによる、交通事故を装っての暗殺工作であったことが後にわかった。

国民の間では民主化運動が盛んになり、危機感をつのらせた朴大統領は、それを抑圧するため1972年10月に「非常戒厳令」を発令。後遺症の治療もかね海外で過ごしていた金大中氏は、祖国に戻れなくなった。

そして1973年8月8日、上述の拉致事件が東京・千代田区の「ホテル・グランドパレス」で起きた。金大中氏はホテルの廊下で麻酔薬をかがされ、意識を失った状態で連れ出され、自動車でまずは大阪らしいところに運ばれ、続いて大型の船で韓国に連れてこられたことを明かしている。

 

事件後のことと、日本に対する主権侵害について、『Wikipedia』で見てみたい。

【KCIAと韓国系ヤクザ】

 

事件後しばらく経ってから、警視庁は事件にKCIAが関与していたと発表。捜査員は、ホテルの現場から金東雲・駐日本国大韓民国大使館一等書記官(変名で本名は金炳賛〈キム・ピョンチャン〉)の指紋を検出し、営利誘拐容疑で出頭を求めたが、東雲は外交特権を盾に拒否。東雲はKCIAの東京での指揮官と見られていた人物で、逃走に使われた自動車は在横浜副領事のものであった。

 

日本国政府は東雲に対しペルソナ・ノン・グラータを発動、間もなく外交特権に保護されて大韓民国に帰国した。警視庁によると「少なくとも4つのグループ、総勢20人から26人が事件に関与した」と公表している。

 

アメリカ合衆国の『ファーイースタン・エコノミック・レビュー』の記事によると「朴正煕と関係の深かった、韓国人ヤクザの町井久之(鄭建永〈チョン・ゴンヨン〉山口組系東声会会長)が、ホテルのフロアをほとんどすべて借り切り、KCIAに協力した」と掲載した。

 

「ニューズウィーク」東京支局長バーナード・クライシャーは、アメリカ合衆国の本社に「町井久之はKCIAと緊密に行動を共にし事件の背後にいた。しかし日本のどの新聞もこのことを取り上げない。それは町井の組が自分達を誹謗する者を、(日本人でさえ)拷問し殺すことさえ厭わないからだ」との記事を送っている。

 

韓国政府が、金大中を中傷する情報を日本の新聞社に流す役割をしていた柳川次郎(梁元錫〈ヤン・ウォンソク〉山口組系柳川組組長)も関与。日韓関連の著書が多いジャーナリスト五島隆夫によると「柳川は日本の暗黒街の他の人物と同様に、児玉誉士夫(自民党の後援者・右翼の黒幕)を通じて韓国政府と接触をとった」という。

 

また、元陸上自衛隊3佐で、陸上幕僚監部第二部別班などを経て退官後に興信所を営んでいた坪山晃三にも、拉致設定の依頼が金東雲からあったが、愛国心から坪山は拒否し、当時の内閣官房副長官後藤田正晴から、しばらく身を隠していろと忠告され、伊豆半島に潜伏していた。

 

【日本に対する主権侵害】

同事件について、日本政府は主権侵害に対する韓国政府の謝罪と、日本捜査当局による調査を要求していたが、同年11月の金鍾泌(キム・ジョンピル)首相(当時)の訪日と1975年7月の宮澤喜一外相(同)の訪韓で政治決着を図り、韓国側の捜査打ち切りを確認したが、韓国政府はKCIA職員かどうかも認めず不起訴処分とし、国家機関の関与を全面否定していた。

 

後年、大統領になった金大中はこの事件を一切不問にするとの立場を明らかにし、韓国政府に対する賠償請求などに発展するおそれのある真相究明を露骨に牽制した。

また、1973年11月2日に行われた田中角栄首相(当時)と金鍾泌首相(当時)との会談の内容を収めた機密文書が盧武鉉政権により公開(2006年2月5日)され、日韓両政府が両国関係に配慮した政治決着で穏便に事を済ませようとしていたことが明らかになった。

 

『文藝春秋』2001年2月号の記事[要文献特定詳細情報]によると「田中角栄首相が、政治決着で解決を探る朴大統領側から少なくとも現金4億円を受け取っていた」と現金授受の場に同席した木村博保元新潟県議が証言している。

 

また娘の田中真紀子元外務大臣によると、事前に田中角栄は「殺人をしないこと」を条件に、拉致することを了承済であったという。但し角栄の当時の対応については「金大中を殺害するつもりなら爆破するぞ」と強く殺害の中止を求めたという説と、事なかれ主義的に拉致を認めたという説がある。

 

2006年7月26日韓国政府は韓国中央情報部 (KCIA) の組織的犯行だったとする結論を出し、国家機関が関与したことを初めて政府として認めた。

 

2007年10月14日北海道新聞によると、「当初金氏を日本の韓国系暴力団に依頼して暗殺することがKCIA内で検討されたが、成功が困難と判断して断念したことを元KCIA職員が証言した」との記事を掲載した。

 

なお、元朴大統領の側近はこの証言を否定している。拉致の目的は金の海外での反政府活動を抑制するためだったと別の元KCIA職員が証言し、殺害計画の事実を否定した。

 

同年10月24日、国家情報院 (NIS) の過去事件真実究明委員会は、当時のKCIAによる組織的な犯行だったとする報告書を発表し、韓国政府として事件への関与を初めて公式に認め、柳明垣駐日大使は日本国に陳謝をした。

 

なお、これに対し日本国政府は、日本の主権侵害に対する公式謝罪と日本の捜査当局による関係者の聴取を求めたが、2021年現在まで正式な韓国政府による謝罪はない。

 

旧統一教会というのは、宗教団体の皮を被った日米に対する工作団体なのである。1960年代から70年代にかけ、アメリカ統一教会の政治部門幹部だったアレン・ウッド氏も、文鮮明の目標はアメリカ・韓国・日本の政治家を取り込み、「宗政一致」を図りながらそのトップに君臨することだったことを、TBSの取材で明かしている。

そうであれば、彼らの宗教活動を禁止し、国外追放することに躊躇いがあるべきではない。統一教会の問題と未決の状態に置かれている金大中氏の拉致事件は、KCIAの対日本工作という同じ枠組みで捉え、処理すべき問題と考える。韓国の今度の大統領は、前の文在寅(ムン・ジェイン)よりは真艫な人物のようなので、ここで金大中事件についても決着を図るべきかと思われる。



保守系の一部の論客には、KCIAの出先機関である対日工作を専らとする旧統一教会に魂を売り渡した売国奴でありながら、「皇統の継承は男系男子であるべき」と愛国者ヅラして曰われる方々がおられます。彼らを偽善者と呼ばずして、この言葉を一体いつ使えばいいのでしょうか?

ひょっとすると、「皇統の継承は男系・男子を主張して、次の天皇を昨年筑附に忖度入学したアンポンタンとし、日本の天皇制をぶっ壊せ!」とKCIAから激が飛んでいるということなのでしょうか?

KCIAに完全に取り憑かれてしまった日本の保守系政界に、この曲をご案内したいと思います。

(理学博士:西村泰一/画像など編集:エトセトラ)

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【西村先生のご経歴】
1966年4月ー1972年3月  洛星中高等学校
1972年4月ー1976年3月  京都大学理学部
1976年4月ー1979年10月 京都大学大学院数理解析専攻
1979年11月ー1986年3月 京都大学附置数理解析研究所
1986年4月ー2019年3月  筑波大学(数学)

画像および参考:
『Wikipedia』金大中事件

『Wikipedia』大韓民国中央情報部

『YouTube』西田昌司チャンネル「参議院予算委員会 質問 2011.11.15」野田総理の外国人献金問題について・蓮舫大臣の不適切な交際疑惑について

『日本記者クラブ』金大中拉致事件(青木 徹郎)2003年5月

『YouTube』TBS NEWS DIG ― 「我々は世界を支配できると思った」米・統一教会の元幹部が語った”選挙協力”と”高額報酬”の実態【報道特集】