【皇室、徒然なるままに】第10話 瓦解する菊のカーテン/The chrysanthemum curtain is collapsing 前篇 西村泰一
まずは、菊のカーテンがどういう風に機能しているかを、所々『Wikipedia』などに依りながら少し見てみたい。
【1】嶋中事件(風流夢譚事件)
子供の頃の記憶なんて、私のように間もなく古希を迎える人間にとっては、殆ど朦朧としているのが普通であるが、例外的に何か非常に強い印象を受けた事柄については、まるで昨日のことのように鮮明に記憶しているものである。
1960年、私が小学校1年生の時、深沢七郎の小説「風流夢譚」が『中央公論』12月号に掲載された。当時の私は勿論そんなことは知らないし、その小説を読んだのは、かなり歳を食ってからである。
その小説の中における皇太子妃が民衆に殺される部分や、民衆が皇居を襲撃した部分が描かれたことなどについて、一部の右翼団体が「不敬である」として、中央公論社に対して撤回と陳謝を要求。右翼を名乗る少年が1961年(昭和36年)2月1日に嶋中鵬二・中央公論社社長宅に押し入り、家政婦1名を殺害、嶋中鵬二の妻に重傷を負わせる事件を起こした。
当時、屋内には夫人と子供2人、家政婦2人の計5人がいたが、社長は不在だったため難を逃れている。これが有名な「嶋中事件」、あるいは「風流夢譚事件」と呼ばれるものである。1960年にカラー本放送が始まってはいたが、カラーテレビが普及するのは1960年代後半になってからの話で、当然私もこの事件の放送を白黒テレビで見ることになる。
余談であるが、この頃は白黒テレビでもステータス・シンボル的な存在で、白黒テレビの普及を後押ししたのは、1959年の皇太子明仁親王(現・上皇)と正田美智子(上皇后、巷間 “ミテコさま”という愛称もお持ちである)の結婚の儀であった。
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さて本題に戻るが、私はこの事件の放送をとても鮮明に記憶している。なぜかと言えば、その放送が「余計なことをするから、こんな目に合う」と、かなり大っぴらに言外に匂わせる調子であったことで、”殺人事件の話なのに、コイツは一体何を言ってやがるんだ”と強い憤りを覚えたことを、終生忘れることはないであろう。
さらに、この事件についてまわりの大人に聞いても、他のことについては「ひろかずちゃん、それはね…」と懇切丁寧に説明してくれるのであるが、この件については誰もが口を噤んでしまって、慌てて他のことに話題を逸らそうとするので、強い違和感を覚えたものである。
この話には後日談があり、中央公論社は「風流夢譚」の掲載自体が誤りだったとし、世間を騒がせたとして全面的な謝罪を行った。更に中央公論社は、発刊予定の『思想の科学』天皇制特集号(1962年1月号)を自ら発売停止にしている。なんとも御丁寧なことである。
著者の深沢七郎はと言えば、事件後、筆を折って3年間日本各地を放浪した後、1965年11月8日、埼玉県南埼玉郡菖蒲町(現・久喜市)に落ち着き、「ラブミー農場」を開くと、以後そこに住んでいた。
この話は、先日ご案内した”Princess Masako”事件と同型である。違うのは、中央公論社でなく講談社であることと、著者が日本人ではなくオーストラリア人であったこと、右翼団体の代わりに宮内庁と外務省がお出ましになったこと、幸いにも殺人事件にまでは至らなかったことぐらいである。
なお講談社は翻訳にあたり、原著者に無断で膨大な量の文章をカットしようとしていたが、その中にこのシリーズの第1話で論じた部分も含まれる。
【2】 タモリさんと昭和天皇の物真似
タモリさんと言えば、1982年から2014年3月まで『笑っていいとも』という長寿番組を30年以上司会され、押しも押されぬお笑い界の大御所である。最終回の近くになって、当時総理大臣であった安倍晋三さんがゲストで出演され、タモリさんと二人で美味しそうにイチゴを食べておられたのが思い出される。
安倍晋三さんの次のゲストはキムタクだった。タモリさんは司会をさせても絶品であるが、芸で素晴らしいのは模写である。模写と言っても、荒牧陽子のように歌真似もあれば、コロッケのような形態模写もあるが、タモリさんの模写は雰囲気模写とでも言うべきもので、それが如実に示されているのが、中国語ほか外国語の模写であった。
タモリさんは人物も模写し、野坂昭如や竹村健一、田中角栄、大橋巨泉、永六輔、横井庄一、浦辺粂子、久米明、安藤忠雄、昭和天皇など、思想模写の芸のレパートリーは多彩を極めた。
昭和天皇というと、その在位期間が歴代天皇のなかでダントツの1位である。在位期間を長い順にあげると、首位が昭和天皇の62年ちょっと。次が明治天皇の45年5ヶ月、その次が1817年に45歳で退位された光格天皇の37年4ヶ月である。
1985年5月14日、タモリさんは作家の筒井康隆の全集の完結記念パーティーで昭和天皇の物真似を披露し、最後に「皇太子にまだ皇位を渡さぬ」という台詞をオチにした。パーティーを終え、二次会、三次会でも彼は昭和天皇のネタを続け、 この模様は翌週の「週刊読書人」に掲載された。
だがそれ以降、タモリさんは一部の右翼から脅迫を受けることとなり、最終的には所属事務所、田辺エージェンシーの社長である田邊昭知が、半監禁状態で一部の右翼による抗議を受ける事態に至った。
続く6月26日、筒井氏が製作する映画『スタア』に昭和天皇役でオファーがかかったが、タモリさん側の希望でアドルフ・ヒトラー役に変更になり、事件以降、タモリさんの昭和天皇ネタは封印されている。
ちなみに在位期間の順位で、第4位以下は1500年に58歳で退位された後土御門天皇の36年2ヶ月、1464年に45歳で退位された後花園天皇の35年11ヶ月。さらに628年に74歳で退位された推古天皇の35年3ヶ月が続く。
そして醍醐天皇の33年2ヶ月、後奈良天皇の31年4ヶ月、後小松天皇の30年4ヶ月と続き、第10位は2019年に85歳で退位された平成天皇の30年3ヶ月といった具合である。
【3】秋田県庁で起きたアクシデント
2007年(平成19年)9月、秋田県の県庁が当時の天皇・皇后の来訪に関する公文書を作成した際、「悪天候」を誤って「悪天皇」と変換したまま、決裁(確認)を受けずに発送したことから担当職員が訓戒処分となり、監督責任を問われた上長が厳重注意処分となった。
【4】NHKは上空取材を陳謝
2005年(平成17年)紀宮清子内親王の結婚式報道において、宮内庁は警備上の理由などから上空からの取材を自粛するよう宮内庁記者会に要請した。NHKは、警視庁が設定した飛行自粛要請区域の範囲外からの取材なら警備面で問題はないと考え、上空取材を行った。すると宮内庁は「ルールが守られなかった」として、結婚式記者会見へのNHK記者の出席を事実上拒否する要請を行った。NHKはこれに従ったほか、取材自粛に沿わなかったことを陳謝した。
【5】ロック風アレンジの「君が代」
1992年(平成4年)5月、東京都中野区の(株)日本家庭教師センター学院は、ロック調にアレンジされた「君が代」をCMに使用しようとした。右翼団体「仏心団」から、学院長の古川のぼる氏に脅迫状と”自殺勧告状”が送りつけられ、CMは放送局の自主規制により中止となった。
【6】昭和天皇の写真でコラージュ
1982年(昭和57年)から1985年(昭和60年)にかけ、映画監督でもある芸術家の大浦信行氏は、昭和天皇をモチーフにした14点からなる『遠近を抱えて』という作品を制作した。
その一部に昭和天皇の写真がコラージュとして用いられていたことから、右翼団体は「不敬である」と抗議を行った。所蔵していた富山県立美術館は全点を非公開化・売却とし、図録も焼却処分。大浦氏は「作品を提供させておきながら不当」として同美術館を提訴し、最高裁まで争ったが敗訴した。
【7】カットされた孝明天皇暗殺シーン
東映の1980年の映画に『徳川一族の崩壊』がある。ここでの孝明天皇の暗殺の描写が事実無根、かつ不敬であるとした右翼団体は、東映の東京本社と東映京都撮影所へ街宣車で押しかけ、「社長の岡田茂に会わせろ」と迫るなどの抗議活動を行った。
仲介者によりプロデューサーの日下部五朗が平安神宮と泉涌寺に参拝することで手打ちとなり、映画の公開はなされたものの、再上映では孝明天皇暗殺シーンはカットされた。このことも影響し、本作を最後に大作時代劇路線は自然消滅した。
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第10話の『瓦解する菊のカーテン/The chrysanthemum curtain is collapsing 前篇』は、ここまでとなる。
私はいずれ、『徳川幕府と皇室』というタイトルでも論じてみたいと考えている。江戸時代には菊のカーテンなんてものは存在しなかったからだ。徳川幕府は、単に朝廷が政治に介入しないように目を配るだけでなく、朝廷や公家の風紀を乱す言動についても厳しく取り締まっていた。不埒極まる父親不詳の皇族など、江戸時代であれば間違いなく流罪であったのだろう。
最後に、大河ドラマ『功名が辻』の有名なシーンを収めた動画をご紹介してみたい。御簾越しの後陽成天皇に、何ら気を遣うことなく下品な話を繰り広げる公家たち。だがそこで、猪熊教利ほか公家衆ら7名が官女は密通のうえ遊興にふけっていたという事実が明らかになり、寵愛していた女官も含まれていたことから後陽成天皇は激怒した。教利は死罪となり、他の男女は流罪のうちの最も重い「遠流」に。これを発端として、江戸幕府は宮中、公家に強く介入するようになったとされている。
◎第11話 瓦解する菊のカーテン/The chrysanthemum curtain is collapsing 中篇もご期待下さい!
(理学博士:西村泰一/画像など編集:エトセトラ)
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★ここでちょっと西村先生のデザイン画を紹介★
【解説】
日本の合計特殊出生率の低下が著しい。合計特殊出生率というのは、一人の女性が一生の間に生む子供の数を指す。これが2.08を切ってくると、人口は減少していくが、2005年の1.26を底に若干回復しているが、それでも1.39で2.08には遠く及ばない。フランスやスウェーデンでも、かなり合計特殊出生率を減らしたことがあったが、現在では2.0の前後に戻している。Asiaでは韓国も合計特殊出生率を急減させて、日本より下回っている。ここでは日本に子供が溢れていた頃の思い出を描いてみた。
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【西村先生のご経歴】
1966年4月ー1972年3月 洛星中高等学校
1972年4月ー1976年3月 京都大学理学部
1976年4月ー1979年10月 京都大学大学院数理解析専攻
1979年11月ー1986年3月 京都大学附置数理解析研究所
1986年4月ー2019年3月 筑波大学(数学)
画像および参考:
・『Yahoo!ニュース』宮内庁が秋篠宮家に関する週刊誌報道に怒涛の反論。応酬は今後どうなる?
・『Wikipedia』菊タブー
・『Wikipedia』風流夢譚
・『Wikipedia』嶋中事件
・『YouTube』izumi torend ― 【タモリ】伝説の7ヶ国語はとバスガイド
・『jiji.com』【図解・社会】在位期間が長い天皇(2019年4月)
・『Wikipedia』徳川一族の崩壊
・『YouTube』妖霊大聖 ― 不良公家を糾弾する武家