【YOUR VOICE】学習院女子中等科で広島を訪れた敬宮愛子さま 卒業文集に寄せた作文を改めて拝読

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※ こちらは8月5日付の記事『悠仁さま原爆と被爆者への関心は皆無? 写真展「ヒロシマ1945」の感想にあなたはゾッとしないだろうか』に対し、読者さまから頂戴したコメントです。どうしても天皇皇后両陛下の皇女・敬宮愛子さまの作文と比較してみたくなりますよね。

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どなたか既に取り上げられていますが、2017年3月22日に日本経済新聞が掲載した「愛子さま、卒業記念文集に寄せた作文」を、改めて紹介させていただきたいと思います。学習院女子中等科卒業にあたり記念文集に寄せられた作文です。

『世界の平和を願って』 敬宮 愛子

 

卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の修学旅行中でつぶやいた。このように私の意識が大きく変わったのは、中3の5月にで広島を訪れてからである。

 

原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、71年前の8月6日、その日その場に自分がいるように思えた。ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。

 

平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。

 

最初に71年前の8月6日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。

 

その2週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。オバマ大統領は、自らの手で折った2羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧(ささ)げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山(たくさん)の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。

 

平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。

 

平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。

 

何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。

 

そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。

 

「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。

 

(コメント欄:匿名さんより)



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5件のコメント

  • まやさんがおっしゃるように、敬宮様は「あえて」女児としてこの世に生をお受けになることでいくらかは御身を守ってご成長なされたのかもしれませんね。

    > 陛下と日常をご一緒され、ご姿勢やご所作から学ばれる傍ら外国語や楽器やスポーツやご関心ある分野の学問などの素養を磨かれつつ明るく伸びやかにお育ちになり、ご成年を境に賢く美しく花開かれました。

    他方、素養を欠いたご両親から何ひとつ持たせてもらえず気品も知性も備わらないまま行き当たりばったりで育たれたお子さんたち。お召し物のTPOすらお出になるたびチグハグな佳子さんなど、磨かれる機会なく三十路に突入されてしまいお気の毒ではあります。近頃はお母様に酷似されていらっしゃいましたね。

  • 紀子さんの御先祖の両菩提寺が焼けたのに続き、悠仁さんの出生時のカルテも紛失。これ凄く異常な事態ですよね。

    数々の加工写真、複数悠仁さん疑惑。こともあろうに皇室のメンバーが、公僕である宮内庁と一緒になって、国民を騙しに来る。鉄砲を向けられている感じすらします。

    ほんの2,3人の邪心や、スケベな振る舞い等が、この国を地に堕とします。彼らの振る舞いは、国民に対して正直であろう共に歩もうとする欧州王室とは天地の差です。

  • それぞれのご成長の軌跡を辿りますと、かなりお小さい頃から差が歴然と開いているのが明らかですね。

    秋篠宮家は自ら強調し公言するように「1位と2位の皇嗣」で「揺るがない」のであれば、何らご優秀伝説など喧伝流布なさる必要なく敬宮様の人気やご評価がいくら上がろうとどこ吹く風で泰然と構えていらしたらよろしいところですのに、天皇家や敬宮様へライバル意識を剥き出しにしてその場しのぎの付け焼き刃的な対応で体裁だけあたふた整えて国民を目眩しようと躍起になっておられるみたいに映ります。

    思い返せば、敬宮様は女児としてお産まれになったことでお子様時代はあまりマークされない中で陛下と日常をご一緒され、ご姿勢やご所作から学ばれる傍ら外国語や楽器やスポーツやご関心ある分野の学問などの素養を磨かれつつ明るく伸びやかにお育ちになり、ご成年を境に賢く美しく花開かれました。

    「敬宮様がもしも男児だったとしたら…?」と時に私は考えます。もっと早くから殊更マークされ足引っ張られて潰されていたのではなかろうか(もっと申せばお命の危機すら格段に?)。

    その観点からは、女児としてご誕生あそばされたことは結果として、敬宮様という日本の宝が光り輝く珠となって国民の前にお姿を現されるまでの過程でいくらか危険を回避なされたと言えるかもしれません。この先もどうかご無事でと祈るのみです。

  • 私が同じ年齢の頃、このような素晴らしい文章は書けませんでした。今もですが。

    先日あの一族が写真展に行かれた際、写真に写し出された戦争の悲惨さや戦争での国民の苦しみなどに触れず、写真展だからか被写体ではなく写真そのものについて発言されていました。

    父親は小学生レベルの感想で二人の子は写真そのものについて…!情けなさと怒りが込み上げてきました。敬宮愛子様のように心から人の痛みに寄り添いお考え頂ける方と中身と真逆の箔付にだけ執着する者とでは、雲泥の差を感じます。

    真実に勝るもの無し!

  • このお方が皇太子です。
    他に誰をと言うのか?
    政治家の脳みそは腐っているのか?

    「神武のY染色体」なんてあり得もしない戯言を言う政治家もいるが、仮に「神武のY染色体」があったとしても、そんな「核酸の破片」よりもこの文書の方がはるかに尊い。

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