【YOUR VOICE】瀬戸内の大島は特別なところ 新たな秋篠宮家の押しかけ公務に居ても立ってもいられない気持ちに

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新たな秋篠宮家の押しかけ公務をご存知でしょうか。瀬戸内の大島への訪問です。私はその悲しく虚しいニュースに居ても立ってもいられなくなり、あまりの酷さに怒りを通り越し、愕然としました。

私はアート巡りが好きで、娘と共に瀬戸内芸術祭へも度々でかけ、春も行って参りました。《大島》も検討しましたが、1つのアート作品を写真で目にした瞬間に衝撃を受け、「ここは生半可な気持ちで行くべきではない」と断念した経緯がございます。10月から始まる秋会期を前に、今回は覚悟を持って大島へ行ってみようかと娘と相談した数分後に、秋篠宮家のそのニュースを目にし、怒りで眠れぬ一夜を過ごしました。

ご承知でしょうか。この瀬戸内の大島は国立療養所大島青松園のある島、悲しく辛い歴史を持った島です。ハンセン病を患った方が閉じ込められ、間違った情報により差別され、偏見の目で見られ、辛い日々を過ごされた島。私も瀬戸内への旅をきっかけに、いくつかの島々の悲しい歴史を知るようになり、僅かながら本を読んだりしている段階で、まだ詳しくはありません。

「昔は大島に入ったら二度と帰ることはできなかった。”人間を捨てた島”ですからね。そこの中に私たちは閉じ込められたんですから」。この関係者様のコメントに涙を流すしかありません。そのような島へ秋篠宮家が…よりによって、あの秋篠宮家が?です。小さく人口も少ない、高齢者が多く、ましてや都会と違いスマホを操る方も少ない土地でしょうから、未だ皇族様々の感覚をお持ちでは?と思われます。

押しかけなのか、それとも香川県もしくは瀬戸芸が呼んだのかは不明です。それでも慈悲のアピールに使われる事は間違いなく、薄っぺらなコメントさえ容易に想像できます。

そんな所へ出かけ行く資格が、あの宮家の方々にありますか? 自らの庭先に脱走防止の内しのび有刺鉄線を施したプレハブを建てる人が?何を、誰を、閉じ込めているのか承知しませんが、同じように閉じ込められる事で悲しみのドン底に沈むしかなかった方々に、どのような声をかけるのでしょうか?

近い将来に秋篠宮家の闇を知ってしまった時、島の方々はどう思われるでしょうか? きっと悲しみが蘇る事でしょうし、そんな方々と笑顔で握手を交わした自らの手を虚しく眺めるかもしれません。

心に深い傷を負った方々を利用し、自らのアピールに利用しようとするこの人達が、益々許し難い思いでいっぱいですと、どこへ訴えれば良いのでしょうか。香川県か?療養所か?

 

その後、この島の事を自分なりに調べておりましたが、ますますこの島は踏み入るには相当な覚悟が必要と更に思う様になりました。娘にはこの悲しい歴史に向き合う事を強制するつもりもなく、単純に「療養所があるらしいね」という知識だけの彼女には、衝撃が強過ぎるかもと考えたりもしております。

また、新たな事もわかりました。国内にある療養所の中で、唯一、平成天皇皇后が視察に行けなかった療養所がこの大島青松園だそうです。後日に元患者達を御所に招いて面会されてはいます。その際の写真も出て来ました。当然でしょうが、美智子様はお皿のような帽子とケープ姿でした。

嫁姑でその療養所をアピール利用でしょうか。せめて上皇さまだけは、元患者や関係者達に寄り添うお気持ちであったと願うばかりです。

いつもの押しかけ?横取り?ご指名なのか? とりあえず瀬戸芸委員会の公式に問い合わせフォームを発見したので送ってみましたが、返事を頂けるのか?まあ、無理でしょうね。

Instagramはもう諦めておりますが、あの中に瀬戸内の大島に押しかけた写真が並ぶと思うと、憤りより虚しさばかりです。まだご存知無い方も多いのでは?と思いますが、皆様の目に止まり、考え頂けると嬉しいです。

(ペンネーム:くまママさんより)



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2件のコメント

  • 「小島の春」の事述べた者です。今は療養所は偏見差別の歴史をむしろ知ってもらおうとしています。
     でも予備知識も無く、只説明に頷くだけなら、、行って欲しくないなぁ! 
       ↓
    >そんなハンセン病によってもたらされた偏見・差別の歴史をより多くの人に知ってもらうため、2023年4月4日、岡山県瀬戸内市にある国立療養所・長島愛生園(ながしまあいせいえん)(外部リンク)に新しい施設「むつみ交流館」が開館。最大約70名の宿泊が可能で、学校や自治体の研修、ハンセン病に関する研究を目的とした団体を対象に、無償で提供しています。
      

  •  瀬戸内の島でのハンセン病のこと、載りました。高校生の頃「小島の春」と言う本、読んだ記憶あります。ここで身を挺してハンセン病患者の救済にあたり、若くして亡くなった女性医師が書かれた本、お勧めです。

    >戦前、国立療養所長島愛生園に入り、ハンセン病患者の診療・治療研究に生涯を捧げ、結核に斃れた女医の、魂の記録というべき歴史的名著の復刊。苦労して病者を訪ねゆく感涙の紀行文学。

    >1938年、『小島の春』という本が出版されてベストセラーになりました。
     
    著者は本学の前身東京女子医学専門学校を1929年に卒業した小川正子という女性医師です。
    小川は卒後しばらくしてから日本初の国立ハンセン病療養所である長島愛生園(岡山県)に就職して6年程勤務していました。病を得て心ならずも島を離れて療養していた時に、長島愛生園時代の患者検診の旅について綴ったのがこの作品で、出版の2年後には映画化もされました。検診の様子と患者の家族との別れの場面などが格調高い文体で描かれた作品で、歌を良くした小川らしく、「夫と妻が親とその子が生き別る悲しき病世に無からしめ」など多くの短歌が織り込まれています。小川は1943年に郷里の山梨県春日居村で結核のため41年という短い生涯を終えましたが、その慈愛に満ちた行動は今に至るまで多くの人々の胸に刻まれています。

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