【YOUR VOICE】祖母は著明大学病院で子宮を 外科全盛時代、お金がある女性は「疑いあり」で全摘に
※ こちらは8月26日付の【YOUR VOICE】100歳になる私の母も胞状奇胎を体験 悠仁さまの声が娘の友人(F→M)とそっくりに対し、読者様からメールで寄せられたコメントです。検査体制が万全とはいえなかった1960年代、胞状奇胎の診断に女性たちは「自己判断」を求められることも…?
••┈┈┈┈••✼✼✼••┈┈┈┈••
エコー検査が可能となるまで、子宮や卵巣は中がわからず、胞状奇胎が起きれば、御大家なら全摘、そうでなければ自己判断といいますか、私の祖母も『白い巨塔』の舞台となった著名大学病院を受診したばっかりに全摘を薦められ、大教授に執刀依頼するために必要だからと袖の下、間に入った政治家秘書にも袖の下、と昭和35年にして200万円も余分に用意して入院しました。
ただ全摘した後の組織検査で「本当は問題なかった」と判明し、祖母が悔やんでいたことを思い出します。それでもすでに子供がいたので、諦めはついたと話していました。
現在は血液検査など万全の検査でガンがどうかを鑑定してからになりますが、当時は「疑いあり」でもお金があれば全摘だったのです。外科全盛時代と言われますよね。結核でも肺を切除していたし、美智子さまの場合、すでに徳仁さまがおいでだったので、ガンで死にたいはずはなく、躊躇わず全摘を選んだでしょう。
問題が起きたとすると、安西家からもらってきたであろう文仁さんの出来が非常に悪く、言うことを聞かないやんちゃ坊主になったこと。
あの有名な「紀子ちゃんと結婚できないなら臣籍降下してやる」発言が出て、もしや闇養子であることが発覚するのではないか? となり、「実は大変な時限爆弾を抱え込んでいたんだ」とそこでやっと理解したものと思われます。
(コメント欄:匿名さんより)
【YOUR VOICE】について
こちらは、普段ブログをお読みいただいている皆さまに、ご参加いただけるコーナーです。
皇位継承問題、現在の皇室典範、宮内庁はココがおかしい。そしてマスコミや週刊誌の適当な報道。
「もう黙ってはいられない」「私も言いたい」といった真剣な思いを、あなたも言葉にしてみませんか?
【ご協力をお願いしたいこと】
・メールで info@etcetera-japan.com へ。件名は「YOUR VOICE」でお願いいたします。
・簡単なタイトルもご準備ください。
・ご署名はお住まいの都道府県+イニシャルや仮名、またはSNSのアカウント名をご利用下さい。
・卑語の使用、デモやテロなどの危険な誘導、過激な表現はお断りいたします。
・弊ブログとは方向性が一致しない、男系男子論などの主張はお断りいたします。
・謝礼などはございませんが、どうぞご了承下さい。
たくさんの方のご参加をお待ちしております。
この時代、抗がん剤もまだ殆どなく、マスタードガスから開発された毒性の強いナイトロジェンマスタード・N オキサイド(ナイトロミン)があったものの、1962年8月にシクロホスファミド(エンドキサン)が発売されました。
が、まだまだ外科全盛時代で、エコーも無く、検査手段も限られており、「ガンの疑い」段階でも全摘することに抵抗はなかったはずです。
すぐに全摘すればガンになることはなく、全身に転移する危険もないと聞けば、当時の医学水準なら手術を選ぶ方も多かったことでしょう。
その頃子どもでしたが、地方小都市の床屋や医院の待合室でご婦人方が、開いた週刊誌を囲んで(待合室には女性週刊誌がつきものでした。)「ぶどうっ子」「いつの間にか」「変よねぇ」と言っていたのを鮮明に覚えています。あれはなんだったのかと。折々蘇る遠い記憶です。
疑問が少々。そもそも子宮を全摘していない、礼宮は本当に自分が産んだ子だというなら、その出産日を誤魔化す必要は無い。そして人形を抱いて人前に現れる必要も無い。
当時の皇后であられた良子(ながこ)皇后は、内親王殿下を亡くされたことがあり、非常に悲しまれ、あまりに嘆きが深いので、少しは慰めになればとお付きの者が等身大のお人形を作って差し上げたとか。それにあてつけるような、人形を抱いて人前に現れ、列車に乗り込むという非常識な行動。とても看過できません。
話を戻して、次男の出生日を誤魔化す必要がなぜあったのでしょうか。それを考えれば、巷でよく噂されていた事が脳裏に浮かびます。
「妊娠期間が合わないのでは?」
俗にいうカッコウの托卵です。オブラートに包まず申し上げると、これ以外に理由があるでしょうか。
これはあくまで仮定論ですが、長男が貴人との間の由緒正しき御子であったとすると、もしみー子さんが、あとから実子を産めばどうなるか。
壮絶な長男苛めが発生し、その後どんな手を使っても自分の子を天皇にしようと、朝鮮王朝のようになってしまいかねず、みー子さんの出自などを嫌った最上部からの天の声で、黙って「ついでの全摘」を指示されていても、この世界ではありえなくはないといえます。
スターリンですら、入院を最も警戒していたといいますから、麻酔から覚めたら「残念ながら」と医師からの事後報告で済まされた可能性もなきにしもあらずでしょう。
愛子さまは正統派らしく、宮内庁病院にてご生誕。なのに、訳あり悠仁は愛育でした。紀子さんは宮内庁病院を警戒し、全然信用していないことがよくわかります。その原因は、いわずもがなですね。
子宮全摘出の後、実は良性で問題なかったと判り、後悔したり怒り出したりする患者さんは、主コメさんの御母堂だけではなかったはず。それは患者さんの経済状態とは無関係です。
医師や病院は自衛のため、必ず患者さん本人の同意を取った後で子宮全摘出をしたはず。特に「お金がある」「政治家秘書に間に入ってもらう」患者さんであればあるほど、後で病院や医師の悪口を有力者に言い触らされるリスクが有りますから、必ず悪性と決まったわけではない事などを念入りに説明し、同意書にもその旨が記載されていると考えられます。
次男さんの母君もVIPですから、必ず御本人のご決心を待って対処したはずです。御本人が子宮全摘出を迷っておられるのに、全摘出手術をするはずかありません。
ですから、次男さんが御母堂の実子であっても、何ら不思議ないのでは?
ただ、次男さんが表向きの誕生日より数ヶ月から1年余り前に誕生した可能性は否定できないと思います。
出産後の退院時、人形らしきものを抱いていたのは、次男さんの月齢が大きく、とても新生児に見えなかったからでは?
また、長く尾を引く赤ちゃん用ドレスで、次男さんの大きな身体を隠したが、顔だけは衣装で隠せず、「頭の大きな赤ちゃん」と噂されたのでは?
公式発表では臨月でも、実際は出産後(または養子)なら、ハイヒールも楽勝。
ところで、次男さんの出産について、東大病院と宮内庁病院の勢力争いになったのは理解できる。が、そこへ東宮も参戦し三つ巴になり、出産に東宮職10名が立ち会ったというのは奇妙な話だ。何か、意思に知られて困るような事でもあったのだろうか?
海外在住EWさんの投稿(8月26日)も考え合わせると、胞状奇胎に罹患した後、子宮を全摘出するかどうか、最終判断は患者さん本人に委ねられたと推察されます。なので、例のご婦人が躊躇しているうちに次男さんを妊娠した可能性も有るわけで、現段階で養子と決めつけるのは早計と考えます。
ただ、上皇陛下と次男さんの親子鑑定を求める声が数年前から多いのに、敢えて鑑定を行わない点からみると、少なくとも実父は別人であり、御本人もそれを知っている可能性があると考えるのが一番自然のような気がします
あの時代はそれしか方法がなかったのなら全摘とは思うのです。それが美智子さまは1986年に子宮筋腫の手術をしてるとのこと。
全摘でも子宮筋腫になる?だから、どちらが本当なのかと。温存して子宮筋腫の手術なのか。ガンの可能性があっても残した?
美智子さまがされることは謎です。