【皇室、徒然なるままに】第17話 皇室と統一教会     西村 泰一

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前列中央は昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王殿下。両隣が文鮮明、そしてその妾あるいは最初の妻とされる崔元福女史(画像はネットで拾ったもの)
前列中央は昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王殿下。両隣が文鮮明、そしてその妾あるいは最初の妻とされる崔元福女史。ほかの方々については後述あり(画像は『皇室問題分析室』のスクリーンショット)

韓国の文鮮明が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を設立したのは、1954年の5月1日のことである。程なく、統一教会が礼拝と称して不道徳な性行為を行っているという噂が広まり、官憲が文鮮明と4人の信者を逮捕している。

そして1955年、ソウル特別市西大門区にある梨花女子大学の教員5名・学生14名が入信を理由に退職・退学させられ、文鮮明は不法監禁等を理由に検挙された。「血分け」と称して淫行が行われているのではないかという疑いが持たれ、罪状には姦通罪も含まれていたが、兵役法違反(徴兵忌避)以外のすべての罪状が取り除かれた。その徴兵忌避ですら結局罪に問われることなく、3か月後に釈放されたという。



1958年頃、文鮮明は日本への海外宣教を計画し、1959年10月2日、日本において世界基督教統一神霊協会を設立。日本で宗教法人の認証を受けたのは、1964年7月15日であった。1961年には朴正煕(第18代韓国大統領朴槿恵の父)国家再建最高会議議長のもと、軍事独裁政権下での反共主義思想を展開し、政府から庇護された。

朴正熙は満洲国軍の将校を志し、満洲国陸軍軍官学校(大日本帝国陸軍の陸軍士官学校に相当)予科に1939年4月に入校。1944年4月に満洲国陸軍軍官学校本科を卒業している。朴正熙も岸信介(安倍晋三の祖父)も、いずれも戦前に満州国で活動していたという共通点があるが、そこで出会ったことはないようだ。

岸信介は、建国されたばかりの満洲国で国務院高官として満洲産業開発五カ年計画を手がけている。1961年11月11日、韓国の「国家再建最高会議議長」として日本を訪れた朴正煕は、始めて岸信介と対面。岸が朴のために午餐会を用意すると、そこで朴は次のような話をしている。

経験もない私たちには、ただ空拳で祖国を建設しようとする意欲だけが旺盛です。まるで日本の明治維新を成功させた若い志士のような意欲と使命感をもってその方々を模範とし、わが国を貧乏から脱出させ、富強な国家を作っていこうと思います。

 

明治維新で活躍した長州藩士の血をひく岸は、この話にいたく感動したようである。朴正煕のほうには、韓国の近代化・工業化のため日本の協力を取り付けたいという思いや、同じ満州人脈に連なる岸への親近感など複雑な思いがあったのかもしれない。

いずれにしても、二人はこのあたりから急接近しており、戦後の日韓関係において「ホットライン」の役割を果たすようになったと言えるであろう。おそらくその縁で、朴から岸に「文鮮明という大変見どころのある男がいる」といった話があったものと思われる。

また右翼の大物、笹川良一氏も岸に文鮮明を強く推したと聞いている。私の知る限り、岸と文鮮明が初めて会ったのは1973年で、渋谷区松濤の統一教会本部で長時間に亘り会談している。

戦前に早稲田高等工学校(早稲田大学に併設された各種学校)で電気を勉強していた文鮮明は、1965年1月28日に21年ぶりに来日している。そして同年2月10日に三笠宮崇仁親王および笹川良一と会談し、翌日にも笹川と会食している。


 

それで本題に入るが、この三笠宮と文鮮明の会談はどういう経緯で設定されたのであろうか。

まさか三笠宮が統一教会の信者であったとは思わないが、いずれにしても宮内庁には、ことの経緯を明らかにする義務があると思われる。安倍元総理の暗殺後、政治家のほうでも過去の統一教会とのつながりについて明らかにすることを求められており、皇室についても同様にお願いしたいと思う次第である。

 

三笠宮と文鮮明の会談にかかわる記事を探してみたので、4つほど挙げておく。

《向かって左下1番目が統一教会教祖の文鮮明 氏であり、同2番目が三笠宮崇仁親王、同3番目が崔元福 氏である。向かって左上1番目が常陸宮妃華子殿下、同2番目が秩父宮妃勢津子殿下、同3番目が三笠宮妃百合子殿下、同4番目が高松宮妃喜久子殿下、同5番目が教祖の妻である韓鶴子氏である。この写真は、1965年1月、統一教会のワールドツアーにて文鮮明教祖一家が日本に立ち寄った際に撮影された写真である。尚、統一教会は1954年に設立された宗教団体であり、勝共連合が設立されたのが1968年である事から、三笠宮含めた各皇族は勝共連合設立以前から交流があった事となる。(2022.08.29、人定を修正)》

 

〔1954年=韓国で統一教会設立〕
〔1964年=日本で統一教会設立〕
〔1965年=皇族が教祖と写真撮影〕
〔1968年=国際勝共連合設立〕

 

すなわち、この時点で統一教会と皇族の深い繋がりが分かるのである。政治家ならば、選挙運動の一環で比較的安易に写真を撮る事ができなくもないが、皇族に選挙は無い。したがって、票集めでもなく、皇族が自ら進んで教祖と家族写真を撮影している事実が浮かび上がるのだ。

 

そもそも『家族写真撮って下さい!』で複数の皇族と容易に家族写真を撮影できるだろうか? 宮内庁の関係も出てくる事から不可能であろう。日本の政治家ですら複数の皇族との家族写真は撮れないのだから、その難易度は明白である。

 

引用:『皇室問題分析室』【1-清和会及び統一教会と秋篠宮の関係から明確となる皇室の政治介入と美智子様の考え方】

 

1971年1月8日、皇太子明仁殿下と皇太子妃美智子さま(平成の天皇皇后)及び秩父宮妃勢津子殿下並びに常陸宮妃華子殿下が、「統一教会リトルエンジェルス芸術団」の公演を観に行き、公演後に歓談されている写真および映像が現存している。

1971年1月、上皇后さまはリトルエンジェルス芸術団(文鮮明が設立した少女たちによる芸術団)の公演を堪能された(画像は『note』のスクリーンショット)
1971年1月、上皇后さまはリトルエンジェルス芸術団(文鮮明が設立した少女たちによる芸術団)の公演を堪能された(画像は『note』のスクリーンショット)

 

この時、美智子さまは大変楽しまれ熱心に公演をご覧になられていた。この時の公演には、岸信介 氏及び笹川良一 氏並びに川端康成等も出席している。

 

翌年の1972年12月26日(第三回日本公演 東京日劇会場)にも美智子様及び秩父宮妃勢津子殿下並びに常陸宮殿下夫妻が大変楽しく熱心に観賞されている。

 

この時以降、芸術団の素晴らしさが認知され、日本での公演が増えていったのである。

 

引用:『note/達伊和洸』【文鮮明】皇室と統一教会の関係|三笠宮と教祖の記念写真【皇族】

 

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が過去に皇室と接触していた写真や動画がある。

旧統一教会の関連団体「リトルエンジェルス芸術団」の行事を楽しむ、皇太子時代のご夫妻(画像は『週刊・東洋経済』広告のスクリーンショット)
旧統一教会の関連団体「リトルエンジェルス芸術団」の行事を楽しむ、皇太子時代のご夫妻(画像は『AERAdot.』広告のスクリーンショット)

 

当時の皇太子さま、皇太子妃美智子さま(現・上皇ご夫妻)が旧統一教会の関連団体の行事に訪れている様子や、昭和天皇の弟の三笠宮さまと見られる人物が、旧統一教会の創始者である文鮮明氏と一緒に収められていた。

 

旧統一教会が霊感商法などで問題となる前の出来事だが、その後、写真や動画は旧統一教会や関連団体などで長く利用されていた。宮内庁は「皇室の写真を宣伝目的のために利用することは好ましくない」との見解のようだが――。

 

引用:『AERAdot.』上皇さま、美智子さまの写真や映像を旧統一教会関連の芸術団が“利用” 宮内庁「宣伝目的は好ましくない」

 

文鮮明教祖と三笠宮崇仁親王殿下との記念写真は、米国CIAエージェント(岸信介)のお膳立てで実現?

前列中央は昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王殿下。両隣が文鮮明、そして妾あるいは最初の妻とされる崔元福女史(画像はネットで拾ったもの)
前列中央は昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王殿下。両隣が文鮮明、そして妾あるいは最初の妻とされる崔元福女史(画像は『ちゃぬの裏韓国日記』のスクリーンショット)

 

1960年代、日本統一教会本部は、岸信介氏の首相官邸時代の建物を使用し、同じ敷地内(?)、お隣同士の間柄だったといいます。(こんな写真まで世に出るとはね。撮影時期は、文教祖が第一次世界巡回した1965年ごろと推定。この時に文教祖はアイゼンハワー元大統領とも会見している)

 

『1965年度(世界巡回時)に先生が日本に立ち寄った際、日本のある高位層の人に会って話をしたことがあります。』
(御言選集22巻「全世界はみ旨を早急に要求する」1969年5月2日 韓国・前本部教会)

 

1965年は、まだ勝共連合(反共組織)設立前のことで弱小・反日韓国宗教を時の首相がここまで優遇する理由はありません。

 

これも文教祖も岸首相同様、米国CIAエージェントだからなせる業でしょう。

 

会食しているようなセッティングであり、皇族の方とたまたま会ったときに撮ったスナップ写真ではないことは一目瞭然。
さらに宮家の妃殿下たちを立たせて、文教祖と妾の崔元福女史が座っているという前代未聞の位置関係。
日本では考えられません。

 

引用:『ちゃぬの裏韓国日記』文鮮明教祖と三笠宮崇仁親王殿下との記念写真(1965年2月10日)

 

それから統一教会と政治家との関わりについて面白い記事を見つけたので、御案内しておく。

霊感商法が社会問題化し、2世の苦悩が深刻化しているにもかかわらず、行政が教団に介入しなかったのは、どうしてか。それは、この教団特有の政治との近さにある。

 

統一教会は日本で布教を開始した直後から政治に接近し、保守系政治家の歓心を買うような政策を掲げてきた。原点は、教祖・文鮮明氏が68年に設立した政治団体・国際勝共連合だ。

 

イデオロギー闘争が激しかったこの頃、「共産主義に勝つ」ことを目的とする政治団体は、岸元首相ら保守派の政治家には心強い援軍と映った。勝共連合の名誉会長には右翼の大物、笹川良一氏が就任。宗教団体ではなく、政治団体として日本の支配層に受け入れられてゆく。

旧統一教会に関する「宗教・カネと政治」(画像は『週刊・東洋経済』広告のスクリーンショット)
旧統一教会に関する「宗教・カネと政治」(画像は『週刊・東洋経済』広告のスクリーンショット)

 

引用:『東洋経済ONLINE』銃撃事件を引き寄せた「統一教会と家族崩壊史」 ― 政府に守られた教団と放置された宗教2世たち

 

三笠宮様と文鮮明との面談であるが、これをセッティングするために、かなりの大物の政治家が背後で動いたのではないかと推測している。

それと、この面談は文鮮明が日本で統一教会を立ち上げてから、わずか6年くらいでなされている。それから60年近くの年月が経っているので、皇室と統一教会との関係はあの面談が最初で最後であるとはちょっと考えづらい。

ご存知のように、統一教会は実に多くのダミー団体を擁しており、統一教会と関係をもった政治家の方もよく言われることであるが、「あの団体が統一教会の関連団体とは知らなかった」というのは、強ち嘘ではないと思われる。

ただし、秋篠宮あたりがそういう統一教会の関連団体の会合に、来賓として多額の御車代ほしさに行っていないだろうかと危惧している。そういう関連団体は”平和”とか”世界”とか、当たり障りのない言葉がその名称に散りばめれられているのである。

 

第17話の締めくくりの1曲、桜田淳子さんの『夏にご用心』はいかがであろうか。『統一教会にご用心』と心の中で呟きながら、聞いていただきたい。

(理学博士:西村泰一/画像など編集:エトセトラ)



【皇室、徒然なるままに】のバックナンバーはこちらから。
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【西村先生のご経歴】
1966年4月ー1972年3月  洛星中高等学校
1972年4月ー1976年3月  京都大学理学部
1976年4月ー1979年10月 京都大学大学院数理解析専攻
1979年11月ー1986年3月 京都大学附置数理解析研究所
1986年4月ー2019年3月  筑波大学(数学)

画像および参考:
『皇室問題分析室』【1-清和会及び統一教会と秋篠宮の関係から明確となる皇室の政治介入と美智子様の考え方】

『AERAdot.』 上皇さま、美智子さまの写真や映像を旧統一教会関連の芸術団が“利用” 宮内庁「宣伝目的は好ましくない」

『note』達伊和洸 ―  【文鮮明】皇室と統一教会の関係|三笠宮と教祖の記念写真【皇族】

『東洋経済』銃撃事件を引き寄せた「統一教会と家族崩壊史」 ― 政府に守られた教団と放置された宗教2世たち

『ちゃぬの裏韓国日記』文鮮明教祖と三笠宮崇仁親王殿下との記念写真(1965年2月10日)

『YouTube』Yozorawomiagete ― 夏にご用心/桜田淳子