カワタツ氏が頬にキスするほど親しかった女性記者は画家でもあった 紀子さまや祖母、驚きの絵の才能はもしや…
2月14日、ある読者さまよりコメントを頂戴し、【YOUR VOICE】にて「美智子さまも魅了したカワタツ氏は女性編集者の頬に…!! 今もご存命ならおそらく大変な脅威に」として紹介させていただいた。
そちらには、こんな衝撃的なことが書かれていた。
カワタツさんから頰にキスされたと綴っておられる編集者がいたりもするので、やはり女性にマメというか垣根の低い方だったのかもしれません。
https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h3001
傀儡である紀子さんはもとより、美智子さんまでも虜にして厚い信頼を得て、計算づくで狡猾に、野望を意のままに実現してこられたとしたら怖いですね。
敬宮様が輝くばかりに美しく聡明にご成長あそばされた今、もしご存命だったなら、大変な脅威となったことでしょう。
女性記者との間にナニが?と驚き、さっそく文藝春秋の記事を開いてみると、ものすごいデジャブ感にハッとなった。この女性のお顔、もしや…と。
◆元朝日新聞の記者で、画家でもあり通訳としても…
その女性は、元は朝日新聞の記者の斎藤智子氏。
フランス留学時やヨーロッパ滞在時に街角の絵を描いてきたとのことで、個展を開くほど作品の数は多いもよう。イラストレーターとして挿絵でもご活躍中である。
問題の “カワタツ氏のキス” 記事にはこんなことが書かれていた。
初めて川嶋さんに会ったのは1987年、川嶋さんが学習院大学経済学部教授のころだった。宮内庁担当だった先輩の内藤修平記者に連れられて、東京・目白にある大学の研究室を訪ねた。
(中略)
当時、私は30代前半。支局勤務を経て東京社会部記者となり、事件はもちろん、上野動物園のパンダの妊娠や中国残留孤児の親探し、大学の教育改革など、実にさまざまなテーマの取材に関わっていた。
(中略)
1989年8月25日夜。天皇皇后(現・上皇上皇后)両陛下が御所で川嶋夫妻に会われた、という宮内庁担当記者からの情報をもとに、確認をとるため、私は急きょ、川嶋家を訪れた。玄関に入ると、川嶋夫妻、紀子さま、弟と、全員が集まってきた。みな、にこにこしていた。
(中略)
翌朝、スクープが一面に掲載された。内藤記者と私が中心になって事前に準備していた婚約内定の原稿である。
つまり、礼宮が婚約という情報を真っ先に嗅ぎ付け、川嶋家に向かったのが斎藤智子記者なのだろう。斎藤氏はその後、タイの山村でのボランティア活動にも参加するなど、辰彦氏とは素晴らしい信頼関係にあったようだ。
同じ地平に立った対等な人間としての判断を、父は娘に求めていた。皇室の一員だろうが、タイの山奥で暮らす少数民族であろうが、意思のある人間は、みな対等で、尊い。
当たり前の、だが、断固とした人権感覚。その後、私は、後述するタイ山村での川嶋さんのボランティア活動などを通じ、川嶋さんのこうした信念に何度も触れた。
(中略)
婚約が決まった頃、一緒にタクシーで移動したことがある。町で拾った流しのタクシーで最低料金程度の移動だった。降りた後、川嶋さんは「ありがとう」と言ってタクシーの運転手に握手を求めた。
運転手も客も対等、という感覚から、感謝を伝えるための行動だろうが、この運転手の方は、心底びっくりしていた。
取材で川嶋さんにお目にかかる日がたまたま川嶋さんの誕生日に重なり、お祝いに、小さな花束を持って行ったことがある。川嶋さんは喜んだ。
そして、私の頬にキスをした。頬に軽くチュッとやる、あのフランス式の挨拶だ。私が留学経験者と知っていたからかもしれないが、国内で、取材先の日本人からお礼に「キス」をされたのは、あとにも先にも川嶋さんおひとりだった。
■『note/文芸春秋DIGITAL』川嶋辰彦さんのキス 斎藤智子
川嶋辰彦さんのキス 斎藤智子
婚約は1989年のことで紀子さまは当時23歳(内定時は22歳)、斎藤氏はその頃のご自身の年齢を「30代前半だった」と書いておられる。キスの理由のように説明された留学の経験とはパリなのだろう。
◆経歴を確認し、ちょっと驚いたこと
斎藤氏の作風は、完璧さと繊細さが際立っている。

Wikipediaにお名前がないため、あちこちの美術系サイトにある経歴を次々と確認してみた。以下はそれらからの抜粋となる。
1956年福岡県生まれ。高校時代に油彩画家の網干啓四郎、黒崎陽人の両人に師事。
慶應義塾大学で美学美術史専攻。1978年からパリ第三大学へ交換留学。この頃より街角でのスケッチ開始。1979年パリのアンデパンダン(ル・サロン)展に油彩出展。
帰国後は記者稼業と並行して2004年ごろから、本の挿絵や表紙を描き続ける。
1982年朝日新聞社に入社。社会、経済、皇室等を担当し、休暇にはフランス、イタリア、スペインへ単身スケッチ旅行。
現在イラストと通訳は「久保谷智子」として活動し、フランス語の全国通訳案内士として年150日以上全国各地を飛び回る。
上記の文藝春秋の記事には、お二人のお写真も掲載されていた。

ここでふと思った。
川嶋家の皆さんは1977年にオーストリア・ウィーンに住むようになり、滞在中にパリを訪問し、ポン・ヌフという世界最古の美しい橋で記念撮影をしておられた。
川嶋家と一緒に写っているアラフィフほどに見える女性は、紀子さまの母・和代さんではなく、ネットでは「親族」という事になっていたと思うが、現時点で筆者の目には、斎藤氏にじつによく似て見える。

このお写真、1970年代後半のものであろうに、画質が悪すぎて筆者は当初から「合成」を疑っていた。どこかで撮影された5名の写真を切り抜き、ポンヌフの写真に重ねたのだろう、と。
何しろフェンスを支えるX字の鉄柱の形、大きさがおかしい。加えて、小学生であろう紀子さまと弟・舟くんに比べ、一番左の「親族」らしいと言われていた女性は、顔も衣服もあまりにもボヤけているのだ。
このあたりについて、詳しくはこれらの記事でご確認を!
■皇族と婚約成立で川嶋家は慌ててフェイク写真を? マスコミ掲載のパリ写真にも合成疑惑
■川嶋ご一家パリ・ポンヌフ橋写真 撮影場所と角度の謎は解けたが結論として「2枚合成」が疑われる
◆もしや旧知の仲だった?
だが、少し考えを変え、究極の邪推をしてみたくなった。
この写真が本当に自然のもので何ら加工がなかった場合、この女性はパリに留学された斎藤氏の様子を見に現地を訪れていた、お顔がそっくりなお母さまなのかもしれない。
もしかすると、朝日新聞社には秘密だったのかもしれないが、斎藤家と川嶋家は元から親しい関係にあったとか…?
◆川嶋家の苦悩にあくまでも寄り添う
斎藤氏が文藝春秋で書いた記事は、川嶋家や小室家を擁護する内容のものがやはり多いようだ。たとえばーー。
●2021年12月17日
「どうして小室さんでダメなのか、わからない」。筆者が聞いたタツの信念。/文・斎藤智子
《目次》
少数民族の生活改善のために尽力
「紀子のことはよくわからない」
手強い紀子さまの「ひ・み・つ」
母は結婚に深く悩んだ
父が求めた「対等な結婚」
フランス式のチュッ
私は裸で途方にくれた
声に出して読む「行動コード」
眞子さんの結婚には…
◆上手すぎるニワトリの絵は斎藤氏が…!?
自分の努力や実力で何かを成し遂げたということがあるのだろうか、などとよく言われる秋篠宮家のヒトヒト。だからこそ、筆者はこれを勘繰ってしまう。
このパートリッジ・コーチンという中国~東南アジアに生きる美しいニワトリの絵は、本当に紀子さまがご自分で描かれたのだろうか。

世間の批判を覚悟のうえで、小室氏と眞子さんの結婚を擁護する記事を書かれた斎藤氏だけに、何とか力になりたいと、紀子さまに代わりこの絵を描いてさしあげた、ということはないだろうか。
◆祖母の油絵も…?
斎藤氏は、今はペンと水彩絵の具でご活躍という印象だが、経歴を拝見する限り、実は油絵もお好きでお得意なのだろう。
そうなると、紀子さまの祖母・紀子(いとこ)さんが「画家として活躍」という話も、何やら疑いたくなってきた。
以上、筆者の単なる邪推と笑っていただければと思う。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『note/文芸春秋DIGITAL』川嶋辰彦さんのキス 斎藤智子
・『文春オンライン』著者一覧 斎藤 智子 プロフィール
・『古藤店主のブログ』2018年6月 2日 (土) ペンと水彩で街を見つめて 斎藤智子作品展
・『Facebook』古美術&ギャラリー古藤(ふるとう)
・【YOUR VOICE】美智子さまも魅了したカワタツ氏は女性編集者の頬に…!! 今もご存命ならおそらく大変な脅威に
・『エトセトラ・ジャパン』皇族と婚約成立で川嶋家は慌ててフェイク写真を? マスコミ掲載のパリ写真にも合成疑惑