【YOUR VOICE】《二代目 物言う皇族》秋篠宮のロールモデル・寛仁親王の無頼派かつ破天荒な生き方を許した三笠宮家
~ 皇族の矜持と自覚の見識を疑わせる「謝礼は高額で当たり前、貰って当たり前」という三笠宮家の金銭感覚 ~
三笠宮家は戦中、戦後まもなくは家計が厳しかったようで、長男の故・寛仁親王は「麻生家」という福岡県の大資産家から嫁(信子さま)を迎えることで、お金を援助してもらいたいという算段があったのではとまで噂されています。
そして、次男である故・桂宮宜仁親王について。宜仁親王は、離婚歴のある女性と事実婚状態でした。籍を入れなかったものの、私的に雇用して面倒を見て頂いていたようです。
前橋市営競輪の「寛仁親王杯」で、1992年以降、前橋市と関東自動車協議会から計2000万円を受領していたことが判明しました。それが宮内庁にバレて、皇室経済法の皇族が貰える限度額を大幅に超えていたため全額返金させられていました。
貰えるものは何も考えず頂戴し、宮内庁から注意を受けて返金という往生際の悪さ。お兄様の故・寬仁親王と、揃いも揃ってお金にがめついところがあったようですね。
森傭平氏による『天皇家の財布』も大変興味深い内容となっています。
180ページから181ページに『1995年には競輪と競艇における宮杯での謝礼金』があり、宮家のお金に対する概念と危機管理能力の欠如は、単に「ごっつあん体質」というのではなく、自分たちは血統が尊い血筋の皇族だから貰って当然といった意識を強く感じます。とにかく脇が甘いのです。
ブログの「列外派星くず日記」さまも、『宮家の皇族の懐事情に関する疑問にお答えします』として、その件を伝えていらっしゃいます。
大津市営びわこ競輪の「高松宮杯」で主催者の大津市が高松宮家に現金を渡していたといたということが問題になりました。額がなんと95年度だけで1000万円!それを長年渡していたのです。1971年度以降合計1億円以上が高松宮家に現金で渡されていた
また大阪市の住之江競艇場で開かれる「高松宮記念特別競走」でも大阪市箕面市など17市が関係する「大阪競艇施工者協議会」から78年以降合計2000万円受け取っていました。
寛仁親王家も前橋市営競輪の「寛仁親王牌」で同市と関東自転車競技会から92年度以降合計2200万円受け取っていたことが判明
宮杯という名義貸しだけで多額の謝礼金を貰っていたということで問題になったんですね。
両宮家はびわこ競輪、住之江競艇、前橋競輪に絡んだ謝礼金を贈り主に返しています。
(それ以降どうなったのかは不明。もしかしたら金額を少なくして贈られている可能性は否定できません)
ちなみに宜仁親王は1997年12月、「大日本農会」「大日本山林会」からそれぞれ総裁職の謝礼で50万円ずつ、計100万円賜与されていることも明らかになりました。いずれも現在は秋篠宮が総裁職を務めており、謝礼を「お車代」と改めて受け取っておられるはずです。
子育てにおいても、三笠宮家と秋篠宮家に共通点を感じることがあります。
長女の近衛甯子さんと末息子の憲仁親王以外、自由奔放に何も注意せずにお育てになったとかで、ユニークで破天荒な人格を形成したといわれる次女・千容子さんのアメリカ時代のぶっ飛んだ武勇伝にも驚くばかりです。
また、寛仁親王や宜人親王の不良息子というか放蕩ぶりも伝えられましたが、父・三笠宮崇仁親王が古代オリエント史に打ち込み、仕事に夢中で子育ては百合子さまに任せっきりだったようです。
躾は身のこなしを美しくと書きますが、皇族としてのなさりよう、言動は、寛仁親王も礼宮時代の秋篠宮も甲乙付けがたしですね。
話を戻しますと…。
宮家の皇族費やプライベートに関するお金の収入と支出について、宮内庁から派遣された国家公務員でもある経済担当職員はご当主に対し、立場的にも「使いみち」をあれこれ指示したり注意したりできないのでしょう。
皇族としての品位を保つ為として信子さまに毎年支払われる1,525万円の皇族費も、人件費や娘さんたちの留学費用などに使われるなど、どちらかに消えてしまったのでしょうか。信子さまがなぜ月10万円しか受け取ることができないのか、改めてじっくりと考えてみる必要がありそうです。
(関東在住:Mさんより)
参考:
・『文春オンライン』2000万円で子供たちの教育費、交際費をやりくり… “節約”を意識する秋篠宮家と小室家の“金銭感覚” 『天皇家の家計簿』より #1
・『列外派星くず日記』宮家の皇族の懐事情に関する疑問にお答えします
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どこに原因があったのかなと思います。
寛仁親王が信子さまにdvしていたのは有名な話し。お嫁にもらうまでは熱心に優しく接したのでしょう。
麻生家から支援してもらうためにね。
そもそも三笠宮家は貧乏だったとも。
それはそれとして何故dvになる?
育てられた時に問題があったと思わざるをえません。
三笠宮さまはご自分のしたいことをされていてお子さまは百合子さまが一手に引き受けられたとのこと。でも、それだからこそ母や妻に優しくしてもいいはずなのに。
寛仁親王も遊びが盛んだったようで。
公務もサボっていたそうで。
皇族とはどうあるべきかを教えなかったのでしょうね。
しかし○○宮杯や総裁になるとお金が入ってくる仕組み?は改めないといけませんね。
皇族が勘違いします。