METに日本美術品を大量寄贈したコレクター 上皇后とは「長年の知り合いだった」とツルの保護団体会長

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METに日本の美術品を大量寄贈したメアリー・バーク氏との再会を喜ぶ美智子さま(画像は『THE BURKE COLLECTION』のスクリーンショット)
METに日本の美術品を大量寄贈したメアリー・バーク氏との再会を喜ぶ1996年の美智子さま(画像は『THE BURKE COLLECTION』のスクリーンショット)

今回の記事も伏せ字を使わずに進めてみたい。先日、こちらで『皇室美術品のメトロポリタン美術館貸出しの件、上皇ご夫妻も何かをご存じなのでは…と考えざるを得ない1枚の写真』という記事を執筆していた。そこにある「なぜ? 何のために?」という疑惑について調べたみたので、その結果をお伝えしてみたい。



メトロポリタン美術館(以下MET)の学芸員は、博士号取得者でも難しいといわれる狭き門。そこにキャリアも足りていないM子さんが正規就職を希望し、皇室・三の丸尚蔵館の収蔵品を「自分なら有利な条件で貸し出すことが可能だ」と売り込んだのではないかと報じられている。

しかし過去には貸し出しどころか、こっそりと三の丸尚蔵館の「蔵」に眠っている状態の財宝が寄贈という形で人手に渡っていた…という疑惑も。そこで注目されるのがニューヨークの著名なコレクターで、1963年から40年にわたり、驚くほど大量の価値の高い日本の美術品を収集したメアリー・バーク女史(2012年没)だ。そのコレクションの300点以上が、METに寄贈されたこともわかっている。

1975年と2000年の2回、METはバーク女史による日本美術コレクションの特別展示会を開催し、1985年には日本政府がMETに1万ドルを寄付。同じ年に東京国立博物館は「逆輸入」の形でバーク・コレクションの展示会を開き、1987年には外国人叙勲(瑞二)を授与していた。

バーク女史は公式HPで、お世話になった日本人について故人も含め10名以上を紹介しているが、特に親しかったのはこのお二人かもしれない。

 

●村瀬 實惠子氏(実恵子氏と報じられることも)
1962~1996年までコロンビア大学の美術史教授。1965年には通訳も兼ねて日本への買い付け旅行に同行し、美術商、美術史家、学芸員らを紹介していた。1996年からメトロポリタン美術館特別顧問。平成22年に瑞宝中綬章を授与される。

 

●林家晴三氏
元東京国立博物館名誉館員で茶道具、特に茶碗の研究における第一人者。下の写真はバーク女史がHPで公開していたもので、村瀬氏、林家氏どちらとも親しかったことがわかる。

浴衣姿でくつろぐバーク女史、林家氏と村瀬氏(画像は『MET MUSEUM』のスクリーンショット)
右は浴衣姿でくつろぐバーク女史。隣は林家氏と村瀬氏の姿も(画像は『MET MUSEUM』のスクリーンショット)

しかし、このお二人がバーク女史に皇族を紹介したという情報はまったく存在しない。あれこれ調べるなか、むしろ大きなヒントを与えてくれたのは、美術とは関係のない1人のアメリカ人だった。



それは、1973年に米ウィスコンシン州バラブーで設立された「国際クレーン財団(International Crane Foundation 略称:ICF)」の責任者、ジョージ・アーチボルド氏(75)だ。

鳥類研究家の友人を通じてバーク女史はICFを長年にわたり支援してきたが、日本の北海道を訪れた際にタンチョウヅルの美しさに魅了されたとのこと。ICFの責任者であるアーチボルド氏、そして広告塔のひとりでもあった清子内親王が、バーク女史の邸宅で過ごすこともあったという。

ジョージ・アーチボルド氏を介して清子内親王とも親しかったバーク女史(画像は『MET MUSEUM』のスクリーンショット)
ジョージ・アーチボルド氏を介して清子内親王とも親しかったバーク女史(画像は『MET MUSEUM』のスクリーンショット)

アーチボルド氏は1996年、清子内親王の計らいで初めて皇居に招かれた。そこにバーク女史が同行してくれたことについて、彼は『MET MUSEUM/Following Her Bliss: Mary Griggs Burke(1916–2012)』にこうつづっている。

メアリー・バークさんは、そのときたまたま東京に滞在していた。皇族ご一家は日本美術のコレクターである彼女を長年にわたりご存じだというので、声をかけてみたら同行してくれることに。そう伝えると、ご一家も喜んでくれた。

 

By chance, Mary Burke was in Tokyo at the same time, and the royal family, having known Mary for many years through her collection, was delighted when I suggested that she join me for our visit.

 

私たちは素晴らしい午後のひとときを共に過ごした。皇族ご一家とバークさんと、ツルの保護についてや共通の友人の話をして楽しんだ。

 

We shared a memorable afternoon discussing cranes, conservation and several mutual friends of Mary and the imperials.

バーク女史は1996年、すでに高齢でありながら皇族の一家と一緒に北海道を訪ね、厳しい寒さのなか早朝からツルの生息地を見学したという。なお、会報誌『THE ICF BUGLE』の1996年2月号では、清子内親王が“Princess Sayako”として大きく紹介されていた。

ジョージ・アーチボルド氏のツルの保護団体、清子内親王も広告塔のひとりだった(画像は『ICF』のスクリーンショット)
ジョージ・アーチボルド氏のツルの保護団体には清子内親王も関わっていた(画像は『ICF』のスクリーンショット)

■まとめ

METにはすでに皇室の財宝が流れていた可能性も…という巷の噂を肯定するとしたら、上皇夫妻が「ツルの保護活動で娘がお世話になっています」と、最もバーク女史が喜ぶものをお礼の品として贈ったという仮説も成り立つかもしれない。

さらに、バーク氏が亡くなったのは2012年だ。晩年となる数年間は、日本では眞子さんが大学で学芸員の資格取得を目指していた時期だった。バーク女史は眞子さんの話もおそらく聞いていたことだろう。「かわいいお孫さんが将来METで働けるように」と考え、何かしら取り計らってくれていた可能性はあるように思う。

「長年にわたり親しかった」というアーチボルド氏の言葉が示すように、バーク女史は1994年にホワイトハウスで開かれた平成天皇皇后両陛下のための晩餐会にも招待されていた。その訃報を日本の皇室に知らせたのは、なんとアーチボルド氏だったそうだ。



参考および画像:
『The Mary Griggs Burke Collection』History of the Collection

『MET MUSEUM』 burke_article.pdf  From Impressions 35 (2014) ©The Japanese Art Society of America (www.japaneseartsoc.org)

『ICF』The ICF BUGLE February 1996

『ICF』 The ICF BUGLE February 1990

『The Met: Watson Library Digital Collections』Bridge of dreams : the Mary Griggs Burke collection of Japanese art / Miyeko Murase

『在ニューヨーク日本国総領事館』平成22年秋の叙勲について (村瀬實惠子氏)

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)