【YOUR VOICE】生まれる子の性別次第で継承順位が大逆転することも 皇位継承の歴史は複雑だった
※ こちらは【YOUR VOICE】天皇の長男(皇太子)が亡くなろうと、その時胎児だった長男は皇長孫として立太子が可能ですに対し、読者様から寄せられたコメントです。
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歴史上の類似事例(大正天皇の皇室)
当時の天皇であった大正天皇には、裕仁親王(のちの昭和天皇)と雍仁親王(秩父宮)という2人の男子がいました。 [1]
兄の立太子と摂政就任長男の裕仁親王があらかじめ皇太子となっていました。しかし、大正天皇が病気になられたため、1921年(大正10年)に皇太子裕仁親王が「摂政(せっしょう)」として天皇の代わりを務めることになりました。 [1]
長男の結婚と女児の誕生後、皇太子裕仁親王は良子女王(後の香淳皇后)と結婚し、女子(内親王)が誕生していました。 [1]
兄が天皇即位、次男が皇嗣
1926年(大正15年)12月に大正天皇が崩御され、長男の裕仁親王が第124代天皇に即位しました。これにともない、昭和天皇の弟である雍仁親王(秩父宮)が、事実上の皇位継承順位第1位(皇嗣)となりました。 [1]
長男(天皇)の妻が男子(のちの明仁上皇)を出産
雍仁親王が皇嗣の地位にあった数年後の1933年(昭和8年)、昭和天皇と皇后の間に、待望の第一男子である継宮明仁親王(今上天皇の父である明仁上皇)が誕生しました。
この結果、皇位継承順位は「天皇の弟(次男)」から「天皇の直系である長男(新たに生まれた親王)」へと移ることになりました。
なお、皇室の歴史全体を見ると、古代などにも兄弟間の継承や、亡くなった皇太子の遺児が生まれてのちの継承争いなど、複雑な経緯が記録されています。
(コメント欄:匿名さんより)
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