あのトンボ論文「学会だんまり」の謎を解く 巨匠・朝比奈正二郎氏所有の特別貴重な標本が枝重夫ルートで秋篠宮家へ?

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12月23日付の【YOUR VOICE】朝比奈正二郎博士と枝重夫博士 日本トンボ学会YさんのVOICEに思い出しましたに対し、また別の読者様から新たな情報がメールで寄せられた。

日本蜻蛉学会(現・日本トンボ学会)を設立した朝比奈氏は、なぜ生え抜きのトンボ研究者ではなく、歯学博士の枝重夫氏に会長の座を譲ったのだろうか。

そして枝氏と秋篠宮親子の関係は…?



 

◆VOICEに寄せられた新たな情報

まずは、匿名を希望される読者さまから送られてきたメールを紹介させていただきたい。(原文ママ)

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数日前、集英社オンラインで『731部隊#1 「妊娠した女性の腹がさかれ、中の胎児が見えていた」731部隊最後の証言者、95歳の元少年隊員が語る標本室の悪夢』という記事を読みました。

第二次世界大戦中、満州で人体実験を行ない、そのデータを基に細菌兵器を研究、開発した「731部隊」こと関東軍防疫給水部に、「少年隊」として送り込まれた、現在95歳で長野県在住の男性が取材に応じた記事でした。非人道的であまりにも残酷な人体実験を目の当たりにした日々。80年経った今も、男性は当時の記憶に苛まれていらっしゃるご様子です。

噂の域を出ませんが、731部隊に関して残っている文書に「朝比奈正二郎」という氏名があるようです。

公開された731部隊の隊員の名簿にある方が、本当に昆虫博士の朝比奈氏であったとしても、何か法に問われる(問われた)ということはないでしょう。

その前提で話を進めさせていただくと、朝比奈氏がトンボの研究で勲章を授かり、世界屈指の権威と呼ばれるまでになったのは、帰国後は無我夢中で昆虫の研究に打ち込み、論文の発表に明け暮れ、自分のなかに刻まれた忌まわしい歴史を上書きしてしまいたい ― そんなお気持ちが働いた結果ではないでしょうか。

 

Wikipediaにはこうあります。

「1935年に東京帝国大学理学部動物学科(現:東京大学理学部)に進学。1938年に卒業し、同年大学院に進学。しかし戦況の変化により、1939年10月より陸軍文官として満州に渡り、軍の活動の傍ら、週末になると昆虫採集を行なっていた。1940年に東京に一時帰還し、同年結婚。その後すぐに満州に戻り、1945年まで当地で過ごした。」

731部隊は、ペスト菌に感染したノミを生産するため300万匹のネズミを増殖させたようですが、朝比奈氏は理学部動物学科のご卒業で、1930年代半ばに編成され1945年まで続いた731部隊と、確かに満州滞在の時期はが重なるようです。

 

一方、このたびのVOICEのご投稿者・関西在住のCさまは「枝博士は歯科医で、朝比奈博士に師事したのは22歳からですね」と書かれています。

1997年、朝比奈氏が30年間も務めてきた日本蜻蛉学会(現在は日本トンボ学会)会長の座を、トンボ研究を専門に続けてきた生え抜きの弟子ではなく、19歳も年齢が離れた歯学博士の枝重夫氏に譲ったことは不思議です。

ただ学会の発展のためには、権力とお金を持つ人々の臭いに敏感で、しっかりとご縁を構築していくような人を会長に選らばなければならなかったのだろうとは思います。

 

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そして、この読者さまは「週刊文春2024年4月4日号(3月27日発売)に面白い記事が掲載されていましたよ」と教えてくださった。

昨年の春の記事だというのに、すでに削除されてしまったのか探せず、AIに頼るしかなくなっていた。



 

◆枝重夫氏も秋篠宮家に貢献

小学生の悠仁さまが、秋篠宮さまに連れられ枝氏の長野県の自宅を訪れた際には、『日本のトンボ(ネイチャーガイド)』など、ご自身の図鑑を悠仁さまに直接差し上げたという枝氏。

「悠仁さまがいかに幼少期から本物の資料に触れ、熱心に学んできたか」を証言し、長年かけて収集・研究してきた学術的に価値の高いトンボの標本を「研究に役立てて」と悠仁さまにお譲りしたそうだ。

ところが、AIに3月27日発売の文春記事について尋ねると、ちょっと違う話があることがわかった。内容はこんな感じだという。

 

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文春の記者さんが、長野県小県郡青木村田沢にある「信州昆虫資料館」の資料保管場所を兼ねる枝重夫氏(名誉館長)の自宅を訪ね、すでに90歳超の同氏から話を聞いた。

枝氏の自宅は、床から天井まで数万点に及ぶ昆虫標本(特に甲虫)で埋め尽くされ、悪臭や害虫発生など公衆衛生上の問題が深刻化していた。

その実態を暴露したスクープ記事は、長野県内や昆虫愛好家の間で大きな波紋を呼んだ。長野県からの補助金も受けて運営されていながら、問題を指摘する動きはかなり遅かったようだ。

 



 

◆秋篠宮家が関心を示す分野はとにかく「強い」

数日前は、別の読者さまより古い書籍の画像が送られてきて、こちらでは『トンボ論文は秋篠宮さまの発案か 世界随一の標本コレクションで知られる極上の人脈を昔の写真に発見』という記事も書いていた。

あふれんばかりのトンボの標本を保管していたという枝氏だが、歯科医師という本業があるなら、トンボ採集に日々明け暮れていられるはずもない。

秋篠宮さまと懇意になった朝比奈氏は、科博に進呈した「朝比奈コレクション」とは別に、いずれ秋篠宮家に男の子が生まれたら…と、きわめて高い価値を持つトンボの標本を枝氏にこっそり預けていた ― そんな可能性はないだろうか。

枝氏はいつしか「日本のトンボ研究における重鎮」などと呼ばれるようになり、世界トンボ協会(Worldwide Dragonfly Association:WDA)の設立にも深く関わり、朝比奈氏と並んで栄えある勲章も授かっているという。

そして、WDAは、世界自然保護基金(WWF)とパートナーシップ関係にあるIUCN(国際自然保護連合)のトンボ専門家グループ(Dragonfly Specialist Group; DSG)と密接な関係にあるという。

秋篠宮家がちょっとでも絡んだ分野は、利権者の数が増え、互いの組織が手を組んで拡大していくのだろう。助成金という名で、国庫から湯水のようにお金が流れ込んでいく様子をつい想像してしまう。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

 

※ 枝氏が2022年にご逝去とは誤りであることがわかりましたので、削除させていただきました。申し訳ございませんでした。心よりお詫び申し上げます。

※ アイキャッチ画像は関西在住Cさんが提供してくださいました。

参考:
『Wikipedia』朝比奈正二郎

『Wayback Machine』http://www.eco.pref.mie.jp/news/interview/in02/toba/index.htm

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