トンボ論文は秋篠宮さまの発案か 世界随一の標本コレクションで知られる極上の人脈を昔の写真に発見

この記事をシェアする

理知性では今一つ…などと言われる秋篠宮家の紀子さまにとって、「我が家は息子も東大卒です」と語ることは悲願だったに違いない。

素晴らしい学術論文を悠仁名義で出し、天才高校生向けのコンクールで入賞し、東大に見事推薦入学 ― そんなシナリオについて「母・紀子さまの執念による計画だった」と考えておられる方は多いと思う。筆者もかつてはそんな一人であった。

だが、なんとこのたび「コードネーム369@作業中ROM月影(@Lalalajavi39369)」さんから、非常に興味深い資料が送られてきた。そちらを拝見し、登場したある故人のお名前に仰天し、上記の考えをこう改めることにした。

『トンボで行こう』と発案したのは父・文仁殿下で、トンボ関係者が誰ひとりあの論文の批判をしないのは、その世界の神々しい権威の御名前がいつかどこかの段階で登場したからではないか、と。



 

◆コードネーム先生より送られてきた貴重な写真

まずはこちらをご覧いただきたい。秋篠宮さまと言えばナマズという印象が強いが、若いころはトンボもかなりお好きだったようだ。

 

 

 

高知県中村市(現・四万十市)の美しい自然を生かした「四万十市トンボ自然公園」。ここが1988年(昭和63年)に開園した際、当時22歳の礼宮さまは祝辞を述べており、トンボ研究界の神的な存在である朝比奈正二郎氏(2010年11月28日没)と親しくなっておられたようだ。

1957年に設立された日本蜻蛉同好会を経て、1967年に誕生した日本蜻蛉学会(現在の名称は日本トンボ学会/The Japanese Society for Odonatology)の初代会長が朝比奈氏である。研究対象としてゴキブリも有名だそうだ。

 

 

◆Shojiro Asahihaの名を知らぬ者はいない

Wikipediaほかさまざまなウェブサイトの情報を簡単にまとめると、日本蜻蛉学会は世界で最初に立ち上がったトンボの研究団体であり、トンボを愛する全国のアマチュアたちの観察と行動力や研究心が存分に発揮され、知識や情報を共有しあっておられるようだ。

多数の著書、論文、報文(約1000本)を遺すという膨大な研究業績で、学会誌『Tombo』の発刊が世界じゅうのトンボ研究者に大きな影響を与えた朝比奈氏は、国内外の一流トンボ研究者が文献を引用。国際トンボ学会会長、日本昆虫学会会長、日本衛生動物学会会長、日本動物分類学会会長を歴任され、「その名を知らぬ者はいない」という孤高の権威は不動であるという。

そんな朝比奈氏も、トンボが大好きな皇族と親しくなれた時には、さぞかし喜ばれただろうと思う。これでトンボ研究に日の目が当たり、研究への助成金も得やすくなるなら学会もますます発展する ― そう心から期待し、秋篠宮さまとトンボ学会のご縁が切れないよう、人脈面での努力もなさったのではないだろうか。

 

◆朝比奈コレクションは国立科学博物館の宝物

国立科学博物館のウェブサイトでは、『動物研究部の標本』のトンボ類で「朝比奈コレクション」が大きく紹介されている。1998年に寄贈された昆虫標本は、驚くことに約11万点。質、量ともに世界第一級のコレクションだそうだ。

うちトンボの標本は世界各地から集められた約6万点で、朝比奈氏が新種として命名記載する際に用いたという「タイプ標本」なるものが約1,300点含まれている。

悠仁さまの小笠原旅行が関係するかどうかは不明だが、小笠原諸島の固有種で天然記念物に指定されるも絶滅危機種である、「オガサワライトトンボ」のタイプ標本もあるという。

 

 

◆悠仁論文騒動なぜ日本トンボ学会はダンマリを

1か月ほど前、筆者は光栄なことに日本蜻蛉学会の会員・Yさまにインタビューをさせていただく機会を得た。Yさまのお陰で非常に内容の濃い記事となったが、そのなかでちょっと気になるご発言があった。

 

もしも一般の人たちが絶滅危惧種指定のトンボ写真を捏造したら、大ごとになります。トンボ学会も黙ってはいない。絶滅危惧種で捏造をやったら首が飛ぶくらいの覚悟がいります。絶対にやってはならないと皆わかっています。

 

だから科博でも、あの論文は企画展をやったりして一般の人に見てもらうようなものではなく、「献上品」くらいの認識なんじゃないかと。科博の紀要として著者名に悠仁君の名が冠された論文が出た、という既成事実を作りさえすれば良かったのではないでしょうか。

 

筆者はここで、こう思った。

「赤坂御用地が舞台とはいえ、標本たちを生きたトンボのごとく見せかけた、素人丸出しのあのような論文に関して、なぜトンボ学会の皆さんは貝のごとく口を閉ざしていらっしゃるのだろう。トンボ学会は絶滅危惧種に詳しいご高齢の会員さんも大勢いらっしゃるようだし、アマチュアなら利害関係もないはず。まだ40代とお若い清拓哉氏に『何やってるんだ!』と腹を立てるくらいあっても良さそうなものなのに、このダンマリは異様だ。」

異様といえば、マスコミが国立科学博物館から悠仁さまがトンボ調査の学術論文を発表したと大きく紹介し、著名人や御用学者が絶賛してくれたのに、父・秋篠宮さまは一切喜びのコメントを出していない。さらに国民が酷評してもろくに反論をなさらない。「我関せず」「知らぬ存ぜぬ」の姿勢は、生物学者として親としてあまりにも不自然であった。

 



 

◆悠仁さまの覇気の無い雰囲気

一方、高校生になられた悠仁さまは、表情に覇気がないことがたびたび話題になった。16歳のお誕生日に際し、宮内庁は赤坂御用地にある水田の様子を観察される悠仁さまを映像で紹介したが、イネに本当に関心があるようには残念ながら見えなかった。

 

イネが大好きなようには見えなかった16歳お誕生日直前の悠仁さま(画像は『FNNプライムオンライン』のスクリーンショット)
イネが大好きなようには見えなかった16歳お誕生日直前の悠仁さま

 

また、『赤坂御用地のトンボ相』論文によると、当時の悠仁さまはトンボの個体数の調査、観察、絶滅危惧種指定の希少種の採集に余念がなかったことになっているが、このとおり日焼け知らずの白いお肌。イネにもトンボにも実はそう関心がなかったのかもしれない。



 

◆筆者の推察

長男・悠仁さまが誕生した際、秋篠宮さまは「父も私も生物学者。この子が “好きな生きもの” に目覚めたら、その分野の生物学者を名乗らせたい」と単純に願ったことだろう。幸い、幼児期の悠仁さまは御用地の菖蒲池周辺でのトンボ採りが大好きだったようだ。

筆者は今、こんな風に推測する。

「四万十市トンボ自然公園」の出会いをきっかけに、朝比奈氏と懇意になった秋篠宮さまは、その後もトンボをはじめ昆虫研究の権威とかなり知り合いになった。

そういう人脈を頼りに「長男はトンボで行こう、昆虫学者の道を歩ませよう」と発案、計画したのは実は父・秋篠宮さまで、さっそく日本トンボ学会の重鎮や、昵懇の仲であろう林良博氏が館長であった(2013年~2021年)科博に相談を持ち掛けたのではないだろうか。

もしかすると、論文に掲載された “標本トンボ” たちには、科博の宝物である「朝比奈コレクション」も含まれているのかもしれない。しかし肝心の悠仁さまはやる気ナシ。執筆担当者や画像担当者は秋篠宮家のやり方に怒りを覚え、意図的に杜撰な論文を作成した。

****************

 

「要するに秋篠宮さまは、極めて特別な人脈を37年前よりお持ちだったのですね」とコードネーム先生。これでは国立科学博物館、日本トンボ学会ともに、現在の重鎮たちでもモノを申すわけにはいくまい、というのが私たちの印象である。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『Wikipedia』朝比奈正二郎

『日本蜻蛉学会JSO』沿革

『国立科学博物館』動物研究部の標本

『エトセトラ・ジャパン』未来を託せる本物のヤゴ博士くんを失った日本トンボ学会の悲しみと喪失感 会員さんが改めてトンボ相論文捏造問題を語る

3件のコメント

  • 実は当初、知り合いに「赤坂論文」の経緯は、故・朝比奈正二郎博士の関係者(端的にはそのお弟子であった枝重雄博士)ではないか?と言った事があります。「やっぱり」という思いと、驚きが交錯しています。

    ところで、かつてのこちらのブログでも、秋篠宮一家がブータンに行った際、秋篠宮殿下が悠仁君に、ブータンのトンボやトンボ論文について語るように話を一切振らなかったことはかなり奇妙に思えたのですが、今考えてみると、この企てが大失敗に終わるかもしれないことを他ならぬ秋篠宮殿下はご存知だったのではないでしょうか?

    だからなるべくこの話題には触れぬようにしたのではないか?

    しかし、この企ての資金は莫大なものになるはずで、その出どころは我々の税金が含まれているのです。異常なまでの無駄遣いだったこと‍を考え、世間には何も悟られまいと。

  • 「作文コンクール」というアイデアが生まれた理由のひとつ、と考えられる資料があります。
    川島辰彦氏が小学生時代に作文で受賞し新聞記事になっているというものです。辰彦氏の父、孝彦氏の所蔵物をまとめたものの中にありました。
    ・毎日小学生新聞は1940年(昭和15年)に創刊。
    ・辰彦氏(1936年 昭和11年生まれ)
    ■近代統計発達史文庫目録(一橋大学研究所附属 社会科学統計情報研究センター)108ページ
    「川島辰彦さん 毎日こども賞受賞新聞記事」昭和23年3月14日
    https://rcisss.ier.hit-u.ac.jp/Japanese/introduction/tss/tss073.pdf

    ■その部分の画像はこちら
    https://x.com/haCsHIQ47Y4rbci/status/2002390006187565450

  • 私もそう思います。個性というのは、いくら隠しても隠しきれるものではないと思います。例えば、敬宮様の聡明さのように。悠仁様からは、そういった個性が全く感じられません。例えば、あまり良い例ではないですが、お父様の場合、食に関する公務になると目の色がまるで変わるではないですか。昨年の国際会議で、もしご興味があるなら、身を乗り出すようにパネルを見たり、説明者に積極的に質問していたでしょうけど、露にもなかったですね。これは妄想ですが、恐らく一番好きなものは、例えばテレビゲームとか、普通に一般的に嗜好性の高い何かだったりするのではないでしょうか?別に皇位継承さえされなければ、凡庸な人で全然構わないのです。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA