【YOUR VOICE】検査の機器と手法が未発達で癌の発見も遅れがち 昭和30年代なら「胞状奇胎」は子宮全摘でしょう

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※ こちらは8月22日付の記事昭和天皇実録」「卜部亮吾侍従日記」についてのご質問内容にKさんよりご回答に対し、読者様から寄せられたコメントです。「胞状奇胎」を患った美智子さまに、どのような治療方針が説明されたのか、気になる方は多いですが…。

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胞状奇胎の治療法を「現代の」医学水準でいくら議論しても意味がありません。

昭和30年代は、癌になる危険がある胞状奇胎は、大事をとって子宮を全摘していました。当時の文献でもーー。

「絨毛上皮腫の疑いのあるような場合は子宮全摘手術を行う。東洋は西洋に比べ、胞状奇胎多く、また悪性化しやすい、人種的特徴といえる。」(臨床病態生理学大系編集委員会 編『臨床病態生理学大系』)
 

全身への転移可能性があり、「原則として手術可能例には単純子宮全摘術を行い、放射線療法及び化学療法を併用し」(『広島医学』122頁,広島医学会,1960年4月号)

 
などとあります。

症例をみても、現代と比べ、検査の機器と手法が未発達だったことで、癌の発見が遅くなるケースが圧倒的に多かったようですから、現代なら温存できたかもしれない子宮でも、癌のリスクを怖れて昔はより積極的に単純全摘してきていたのです。

ここからは私見です。

母上の身分の良し悪しが厳しく問われる第1親王は、さる高貴な名門出の女性に産んでもらったのではないでしょうか。美智子さんは出自に問題あり、という噂を聞いたことがあります。その代わり、次に妊娠する次男(宮家を与えず臣籍降下させる前提で)か長女は「自分で産んでもよい」とのお許しがあった。ところが、その前に子宮全摘と相成った。安西家から男児を闇養子してくるという希望も、どうせ皇位に関係のない子だし、美智子さんの感情が落ち着くなら、ベビー人形のように外から子を貰ってきても構わないとして黙認された ― こう思えてなりません。

(コメント欄:匿名さんより)

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6件のコメント

  • 去年12月末で 緑内障の為 配信を終えられたak皇室秘話 から。 

    6/15【ak皇室秘話205】
    『秋篠宮は美智子妃の不倫の子』
    浩宮さまご出産の経緯を全て詳細に記録した医師がいた。
    宮内庁病院の当時の産婦人科医長であった目崎曠太氏(曠は金偏)である。彼は、秋篠宮.黒田清子さんの出産にも立ち会った。朝日文庫『美智子さまご出産秘話』はその目崎ノートから知らざれる歴史の全てが明かされている。
    皇太子妃出産にあたっては、東宮系、東大系、宮内庁病院系の三者の三つ巴になって、縄張り争いをしていた。
    当時の美智子様は守旧派の人たちによる風当たりは強かったが、ミッチーブームを巻き起こした~世紀のスーパースター~であった。
    そのスーパースターを守るのが東宮職員なので、もし 出産児の入れ替えがあってはならないので、10人が出産に立ち合った。
    これまでの「ご静養室での出産」ではなく、皇室の歴史始まって初めての病院での出産だからややこしい。1963年3月22日、こうして浩宮さまはお誕生になられた。
    その後、1965年11月30日、礼宮誕生となるのだが…(続きはYouTubeで)

    小内様のサイトの記事か投稿で、昭和天皇は礼宮は明仁さんの子ではないのをご存知だった。
    美智子さんは「皇太子様は女官に手を出し、子をもうけている。だから礼宮の事も大目に見てほしい」と嘆願した…とありました。

    浩宮さまは明仁さんとの間のお子、後の2人は?!?

  • ぶどうっこの後は子どもを産むことは不可能と言われてたのに何故次男が産まれたのかと当時言われてたそうです。じゃあ誰の子?と思うけどそういう所は緩いのに、忽せ無いだけは頑なに言ってる所が嘘で固めたMの始まり、で、今に至ってます。

  • どなたが軽井沢に行きたいのか存じませんが、上皇陛下にとっては難行苦行、いやこれは後期高齢者への明確な虐待では?

    本当にイヤな感じですね、、、

    上皇陛下にもしもの事があったら誰が責任を取るべきか、全国民が理解しております。ただならぬバッシングが巻き起こるのでは?

  • 私も30年近く前、知り合いの外交官からそうした話を聞いています。昭和の皇太子妃の、結婚前の放埓な日々の報いであったかどうかは知りませんが、医師から以後妊娠できないと知ったときの衝撃はいかばかりかと想像しています。

    しかし、皇室経営こそが重大関心事であった宮内庁と政府はそれへの悲嘆にかまけてはいられません。早速、皇太子息子に万が一の事態が生じた際の対応として他家からの養子を検討し、白羽の矢が立ったのがAZ家の子息です。

    さらにはこのAZ家の息子の「能天気」ぶりを案じ取ったさらなる安全策が皇太子(当時、現上皇)にしかるべき女性との子をと策したのです。そうして生したのが清子女王です。当時 その女性がとある女優さんであると故永X輔氏などはラディオ番組で語っていたようですが、それはさだかでありません。斯くして清子女王が現在の天皇陛下と似ており、かつ天皇陛下を兄と慕っていることの理由です。

    一方、M上皇后にしてみれば清子女王は自分の腹を痛めたわけではない、痛めることができなかった娘です。以後なにかと辛くあったて来たのです。それにしても外務省の在外公館に勤務する外交官は、皇室の内情に詳しい。理由は外国政府の皇室への関心が非常に高いからです。

    日本国民は80年前まで「皇室の権威」の前に身命をなげうってきたという「いわば狂信的」信仰が日本国民を駆り立ててきたことへの警戒心が西欧諸国にはあるのだろうと思っています。

  • 何年も前にどこかで読んだ事が記憶に残っています。

    徳仁様は明仁様と女医とのお子様で、皿M子様は某AZ氏との間の子を出産できず、妹の子を使って出産したかのように見せかけて次男とし、紀宮様は明仁様と女官とのお子様…とのこと。
    つまり、皿M子様は1人も出産していないということです。

    皿M子様の赤ん坊の抱き方が不自然な事や、出来のいい孝行息子の今上陛下一家を可愛がらない事にもつじつまが合う気がします。

    ひとり娘の紀宮様を下女のように接していた事も実の母ではないからか…と思います。明仁様の行ないを逆に利用して礼宮様をうまく皇室に入れ込んだ皿M子様の皇統簒奪の始まりと言えます。私はこの話をかなり信じています。     

  • ずいぶん前にコメ欄であの頃、胞状奇胎は子宮摘出しか方法はなかったと見たのです。

    となると美智子さまは秋篠宮は生めたのかと疑問がわきました。でも、20年後ぐらいに子宮全摘の為に入院、手術をされたからそれさえも本当なのかと。(別の手術とか?)秋篠宮の後には清子さんを生んだことになってますよね?

    そもそも、臨月も近いのに陛下の運動会にスーツ、ヒールのあるパンプスで来るでしょうか?しかも、陛下と何かをしている。それが謎です。流産して悲しかったと思います。それならば余計に気を付けて無理をしない、運動会で陛下と何かをしなければならないなら上皇に代わって貰うとかできたはず。

    なのにパンプス?運動会にパンプス?私には理解できません。だから、妹夫婦の子を貰ったとか言われると思います。(秋篠宮が安○さんに似ているし)

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