【YOUR VOICE】ガスト、カラオケを飛び回る「極楽とんぼ」が「黄昏とんぼ」と 来年のお題「旅」でまさか小笠原の旅を?

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※ こちらはブログ記事、「歌会始」にはドノヒト様が? 講書始の儀は親指の爪が「幅広タイプ」「上唇厚め」の悠仁さまがに対し、読者様から寄せられたコメントです。

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令和8年歌会始の情報出ましたね。

敬宮さまの御歌

日本語を 学ぶラオスの 子どもらの 明るき声は 教室に満つ

やはり敬宮さまの御歌はしっかりとした「体幹の強さ」を感じさせますね。そして子供への温かい眼差し、強さと優しさはまさに将来天皇になるお方です。

 

傍系末子殿は初参加なので仕方ないですが、、、

薄明かり 黄昏とんぼは 橋のうへ 青くつきりと 俊敏に飛ぶ

色々とごちゃついた感じの歌ですね。「明」の字を「薄明かり」と使うところ、「黄昏とんぼ」と言うあたりはやっぱり「陰キャ」なの?

てか「黄昏とんぼ」って将来性? どうなの? ガスト、カラオケを飛び回る「極楽とんぼ」ではなかったのね(笑)

 

一般入選最年少、本間優大さん(東京学館新潟高校2年生・17歳)の歌

明礬の 再結晶や 湯の花の 白きまばゆさ 恋に似たり

いやーカワイイですね! この歌大好きです。末子殿、筑波大の理系なんだから「明礬の再結晶」わかるよね?
 

気が早いですが、来年令和9年のお題は「旅」だそうです。まさか、小笠原の旅は詠まないですよね。

(コメント欄:匿名さんより)



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6件のコメント

  • 歌会始で高校生が詠んだ明礬(ミョウバン)の歌が選ばれて、う~んと感心、唸りました。その上手な和歌が、紀子サンのルーツでもある「明礬鉱脈」を想起させたのです。

    紀子サンの母方祖父は、戦争中に満州から静岡県に戻ってきていて、伊豆半島にあった明礬鉱山で勤労課長をやっていたといい、その鉱山は中国人や朝鮮人の強制労働で悪名高き場所だったからです。

    そこに「杉本嘉助」という名の職員がいたことは、強制連行史を調査するグループの手で一次資料である鉱山幹部職員名簿から発掘されています。

    宇久須(うぐす)明礬鉱山として、土肥の近くにありました。当時明礬は戦闘機などに必要なボーキサイトの代用品になるとかで、躍起になって国内鉱山から採掘しようとしていたのです。

    そこがどんな鉱山だったかというと…。

    『カネジョウ商店』さんのブログに「宇久須鉱山回想 勤労学徒課整員係 酒井正平」という記事があります。

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    >宇久須鉱山回想
    勤労学徒課整員係 酒井 正平 http://www.kanejyou.com/minwa29.html
    この鉱山は明治の頃より注目され数人の鉱山関係者により調査、、研究が行われていたが
    最後は佐藤謙三等により細々と調査研究が実施されていた。
    大戦末期になりアルミニウムの原料が不足していたので内地の明礬石を採掘することになり
    伊豆明礬石に着目した軍需省開発本部が中心となり、昭和19年頃より実際に鉱石の採掘を
    行った。土肥長陽閣に陸軍少尉が居住し、宇久須田子屋に中佐以下数名の将校が
    宿泊していた。事務所は宇久須小学校の一部にあった。鉱山にかかわる設備機械作業員
    鉱石の運搬等一切の事は住友鉱業がおこなった。最初に宇久須鉱山にて作業に当たったのは
    住友系の北海道赤松鉱山の従業員であり、その後住友本社の社員が加わり組織ができあがった。
    総務部、勤労部、採鉱部、第一第二厚生部の五部があり、(土肥金山には総務部があり部長は
    高橋泉であった)事務場所は、現在のホテルニュー岡部の所に二棟の細長いバラックがあった。
    職員住宅は、その近くに十数戸のバラックがあったが宇久須の民家を借りて通勤するものが
    多かった。主な労務者は、朝鮮人200名、中国人(華人)約200名が主体であり、
    朝鮮人は深田の海岸にバラック十数戸、華人は深田海岸より約1キロ上がった所の松ヶ坂という
    所に長屋があって、そこで居住していた。華人の上衣の背に「華人」と大書きして一目でわかるようになっていた。
    食事は悪く少量であった。高粱、とうもろこし、小麦、を粉にしたものを水で練ってソフトクリーム位の大きさにしたものを饅頭と云い一日一個与えて、他の副食はなく、毎日朝、海水を桶で運びこれをつけて食べていた。蛇、蛙、など生き物がいると監督に殺してもらい皆で分けて食べる状態であった。皆痩せて細く、よろよろ歩いていた。
    勤労学徒は早稲田大学、秋田高専、農業大学、日本大学、静岡高校等、
    約200名で、土肥館、最福寺、竜泉寺、宇久須慈眼寺、に夫々分宿していた。
    早稲田、秋田高専の学徒は採掘にに当たり、日大は設計製図の補助、農大は食料増産(さつまいも等)
    静高は事務の補助的な仕事をした。労働に当たった学徒は、毎日わら草履二足が切れる程の
    重労働であり、衣類も満足に補給出来なかった。食事も消化が悪く栄養もない物が多かった。
    胃腸をこわす物があり、静高付属の老教官、田村敬林少佐に頼まれて胃腸薬をさがして
    与えたこともあった。朝鮮人と華人は時々数名脱走し、会社職員、警察、消防等大がかりな
    山狩りを行い捜索に当たった。
    土肥金山は休山となり、その職員、機械は宇久須鉱山に集められた。宇久須鉱山で採掘した
    鉱石は土肥金山までトラックで運び、粉末にして大きなタンクの水の中でかきまぜて
    オーバーフローしたものを集め乾燥させ、船で清水港へ運び精製する計画であった。
    昭和20年8月15日終戦と同時に閉山となり、全人員解散した。
    残務整理に残った者は華人一人一人に木製の箱を造り、食料、衣服、ハダシタビ、
    金銭等を渡して宇久須港より船で長崎まで送ったが、その数は百数十名であり、
    結核、病気、怪我、栄養失調で死んだ者も多かった。

    参考文献 静岡県史   新版土肥金山
    取材協力者  酒井 正平氏  水口為和氏
    平成15年 賀茂村文化協会文芸 かも より 

    ****************

    とにかく鉱山からの「山抜け」脱走を厳しく管理し、逃げれば山狩り、捕まえてリンチだったようです。まるで赤坂ヘールシャムの原型をみるかのようでもあります。当時はタコ部屋と呼ばれ、北海道のトンネル建設現場なども同様の労務管理が為されていて、日本人でも賭博に負けるなどし、ヤクザからの借金を返せなくなるとこうした現場に連れて行かれたので、現代のトクリュウの原点ともいえます。

  • 今さらトンボの事を出してきましたか、もうトンボ好き設定、忘れてるかと思ってましたよ。どうせなら、松屋で食べた牛めしの味でも歌にすれば良かったのに(笑)。
    きこさまのは…あれ、歌ですか?ということは一応、ご自身で作ったのかな…ひさひとさまは、ご自身で作ってないですよね…
    天皇皇后両陛下、敬宮さま、華子さま、信子さま、久子さま、承子さま、皆様、情景が浮かぶ素敵なお歌だと思いました。彬子さまは、ことさらに難しい言葉を使って、他の人とは違うのよアピールしているように感じてしまいました。
    敬宮さまのお歌は、是非ラオスの人達に届いてほしいですね。

  • 旅、といえば、小笠原にブータンに、あと本当に行ったの?と言われちゃっている椎葉村への「秋篠宮家流帝王学プライベート旅行」。
    明後日の日曜日にNHKで、椎葉村の特集番組を放映するようですよ。

    NHKスペシャル「椎葉 山物語 “のさり”の原風景」
    内容: “日本最後の秘境”と呼ばれる椎葉村に1年間密着したドキュメンタリー。焼畑農業や犬を使ったイノシシ猟、平家落人伝説が残る山深い村の暮らしと、そこに息づく「のさり(天からの授かりもの)」という精神文化を描く。
    放送予定: 2026年1月18日(日)午後9:00~9:59 NHK総合。

  • 下手くそでも本人のことばなら聞いてみたかったですよ。
    一度「母」のお題で詠んでもらいたいです。

  • 今年の歌会始では、成年の節目と『明』のお題が重なった好機に、当のご本人もご両親も姉君も誰ひとり、抱負や覚悟や喜びや感謝や希望を彷彿とさせるお歌を詠まなかったことに、ちょっと衝撃を受けました。
    それぞれ自己保身と辻褄合わせしか頭になくて、互いを思い遣る情愛に乏しいのか。希薄な関係性がうかがわれる気がいたしました。
    来年の『旅』のお題で、悠仁さんの脳裏に情緒豊かな光景が浮かぶのか。ご家族やお仲間と旅先で楽しく過ごされた思い出をお持ちなのか。
    かつて舞鶴までいらして、我が子の生還を信じ再会を悲願しつつ岸壁に立ち続けた数多の母たちを慮るより、引き揚げ船の乗り心地を問うお言葉を口にされたご様子からも、何か大切なものを育まれないまま成人されたのではないかと案じられてしまいました。

  • 来年にはマレーシア行ってるかもですよwちなみに近所で短歌を長年やってる方が
    没の短歌を、「あれ自分で作ったんじゃないと思う。」と言っていました。
    応募数1万4000首、一般人がこれだけしのぎを削って入選を勝ち取っているのに、こいつらまじで失礼です。
    こう言うインチキをやって平然としているあの四人は処罰すべきです。

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