トンボ論文に「第4の人物」? 清氏も飯島氏も関与していない2015年6月のヨツボシトンボ確認で墓穴か
国際会議ご見学寸前に「正誤表」を出してはみたものの、なんとその後にまで新たなミスを国民に次々と発見されている『赤坂御用地のトンボ相』論文。6歳から研究なさっていたわりに、学名表記の法則ともいえる「カッコの有無」をご存じなかった悠仁さまだが、成虫・幼虫を○◎で分けた論文の一覧表にもミスが4か所見つかった。
トンボの専門家である清拓哉氏、そしてイネに関する学術論文を多数発表しておられる飯島健氏が、そういったつまらないミスをするはずがない。かといって、悠仁さまが自力でまとめたのかというと、どの夏もお肌(日焼けを避けられない前腕や手の甲に注目)は真っ白である。
思い出されるのは、筑波大附属高等学校への進学に大手をかけたといわれる「小笠原作文」に剽窃行為が発覚した際、「実はゴーストライターが書いていた」という説が超有力視されたこと。今回も同じようなことが起きていたのでは?と多くの方が指摘しておられるが、神奈川県在住Hさんのおかげで、その証拠が見つかったかもしれない。
昨日、そのHさんが寄せてくださった情報を元に、こちらで『東大推薦一次選考結果まであと8日もトンボ論文にまたミス発覚 「一覧表」と本文が不一致』という記事を書いた。Hさんはその際、この論文の作成に別の人物が関わっていたことを疑うほかない、非常に興味深い情報をも含めてくださっていた。
◆2015 年6 月14 日に起きたこと
論文の本文において、悠仁さまは2015 年6 月14 日に初めてオスのヨツボシトンボを目撃されたことを記しておられる。
悠仁さまは当時満8歳で、清氏や飯島氏との出会いはまだない。
また、福井県勝山市の環境保全推進コーディネーター兼福井大大学院の特命准教授として、悠仁さまにトンボ捕獲や研究の面白さを教えたとされる前園泰徳氏を思い浮かべる方もいらっしゃると思うが、前園氏はある事件により2015年3月に逮捕されていたため、やはり関係はないのかもしれない。
◆2015年6月14日、悠仁さまは午前中どちらに?
Hさんが下さったメールには、このように書かれていた。
「宮内庁のホームページで秋篠宮家のご日程を確認しました。2015年(平成27年)6月は12日から14日まで、秋篠宮夫妻と悠仁さまは “葉山御用邸にご滞在” とあります。その日、赤坂御用地でヨツボシトンボを確認したのは誰なのでしょうか?」
筆者はふと、秋篠宮家ご一行様が14日に赤坂にお戻りになられたのは、何時ごろなのかを考えた。
葉山から赤坂御用地までは、車で2時間あれば十分。そして、その日の午後に何か別の予定もなかった。そうなると、車の渋滞を避けるためにも、朝の時間帯に慌ててお戻りになる必要はなかったはずだと…。
◆ヨツボシトンボが出現する時間帯
ヨツボシトンボは東京都では絶滅危惧II類。とても貴重なトンボである。
ここで、「みき♂の虫撮り友人帖」さんというブログから、『公園のトンボたち−−ヨツボシトンボ&クロスジギンヤンマほか』という記事をご紹介させていただきたい。
5月3日に家人を連れてトンボ狙いで出かけた公園では、見たいと思っていたヨツボシトンボには出会えなかった。5月6日に、今度は一人で行ってみた。今度はいた! 前回はどうも午後ゆっくり行ったせいで見られなかったようだ。
この日は午前中から行ってみたところ、思いのほかたくさんの個体が見られた(写真1〜5)。やはり時間帯は重要なようだ。
ブログ主さまは東京・立川市にある昭和記念公園で観察にあたっておられたといい、ヨツボシトンボは要するに「暑さ」が苦手なのだろう。5月上旬の立川市でそのような状況なら、6月中旬の港区赤坂など、朝かなり早くないとヨツボシトンボに出会えるとは思えない。
ちなみに、悠仁さまの論文に掲載されているヨツボシトンボは、腹の先端になぜか黒々とした丸い穴が開いていた。
◆謝辞に「庭園課の皆様」が記されない不思議さ
たとえば、トンボ調査を含め、かつての皇居や赤坂御用地における生物相調査の論文には、最後の「謝辞」に庭園課職員の皆様のお手伝いに対する感謝の気持ちが綴られていた。ところが『赤坂御用地のトンボ相』では、さまざまな便宜を図ってくれた宮内庁への感謝だけが記された。便宜と作業のお手伝いは違うだろう。
葉山からお戻りにならない悠仁さまに代わり、2015年6月14日のできる限り涼しい時間帯にヨツボシトンボを確認したのは、一体どなただったのか。庭園課の皆様の協力が本当になかったとしたら、むしろ「第4の人物」もトンボの専門家であったと考えたほうが良いかもしれない。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『宮内庁』秋篠宮家のご日程平成27年(4月~6月)
・『みき♂の虫撮り友人帖』公園のトンボたち−−ヨツボシトンボ&クロスジギンヤンマほか(2013年5月7日)
・『J-Stage』赤坂御用地のトンボ相 ―多様な環境と人の手による維持管理―
・『エトセトラ・ジャパン』東大推薦一次選考結果まであと8日もトンボ論文にまたミス発覚 「一覧表」と本文が不一致
・『エトセトラ・ジャパン』悠仁さまトンボ論文「正誤表」の学名表記に初歩的ミスが発覚 東大推薦型選抜の審査が始まったこのタイミングで
・『エトセトラ・ジャパン』6歳から17歳までどの夏も肌は真っ白 写真に見る「悠仁さまは長年トンボを熱心に研究」の嘘
2015年6月14日の動向。
産経過去記事では、当日の現上皇夫妻の動きとして
>両陛下、葉山御用邸からご帰京
2015/6/14 22:13
天皇、皇后両陛下は14日夜、静養先の葉山御用邸(神奈川県葉山町)から帰京された。10日に観音崎公園(同県横須賀市)で開かれた「第45回戦没・殉職船員追悼式」に臨席した後、御用邸に入られていた。<
https://www.sankei.com/article/20150614-L37KIVBEGNKU7KL2BMPA7FCS4I/
記事では「夜」とあります。沿道警備の都合もあるので、悠仁氏らともほぼ同時の出発だったのではないか、と見られます。尚、翌年の御静養では(7月15日)葉山出発時刻は、神奈川新聞の記事によると、午後4時35分に御用邸前で車列が撮影されています。
https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-78690.html
となると、トンボをこの「6月14日」に東京の赤坂御用地内で、悠仁氏本人が撮影していた可能性は限りなくゼロということになりますね。
気がかりなのは、朝日新聞の皇室7daysには、紀子悠仁親子の葉山行きが全く掲載されてはおらず、まるで東京に居たかのような形にみえることです。
もし、論文代作者が、実際には御用地内では撮影していなくて、どこか他所で撮影してきたり、標本を使って自分で“特撮”した写真を、ランダムに撮影日を決め、論文内にもっともらしく割り振り、表記していったのならば、悠仁氏の”アリバイ確認”を朝日新聞記事を使ってやっていた可能性が出てきます。
というのも、朝日の7daysではカレンダー形式で各皇族の動きが(宮家は家単位で)表示されており、まさか宮内庁公式サイトには文章として葉山滞在が公表されていたのに、朝日新聞には不掲載だった紀子悠仁親子の動きがあったことなど、代作者は全く想定しておらず、14日は葉山に居たことにも気づかず、こうやって観察発見撮影日にしてしまっていたのではないでしょうか。
サスペンスとしてみると、もし代作者が宮内庁内部の人間だったとしたら、皇族方の動きは独自の情報源で時刻まで誤りなくチェックできたはずで、同じ偽装工作するにしても失敗はありえません。
が、もし外部下請けの代作者だったら、アリバイ工作するにも、宮内庁の業務用PCは使えず、WEB版朝日新聞の7daysに頼ってしまい、最後、こうして致命的な墓穴を掘ったのでは?というのが、私の推理です。
御指摘通り、この3名の著者以外に第4の代作者がおり、しかもほぼ丸投げに等しい代作状態だったので、宮内庁職員になっている共著者飯島氏すらも実際には関与していなかったから、撮影日設定工作で矛盾が出たことになります。
いずれにしても、これで悠仁氏の東大裏口入試作戦は完全にアウトでしょう。
飯島氏、清氏のいずれもがいまだ悠仁氏とは知り合わず、一切関与もしていない、悠仁氏がソロで研究していたとされる小学三年生段階で、悠仁氏本人が日中東京不在の日に、ヨツボシトンボが御用邸内で悠仁氏の手で発見され、撮影までされていたというのでは、完全にアリバイが崩れたことになるからです。
これで悠仁論文は完全に不正論文でしかなくなり、あの小保方氏よりも赤恥な出来事になるはずです。
その意味でも、Hさんの発見は素晴らしいの一言に尽きます。
「東京いきもの台帳」のサイトで各種トンボのデータ(標本、文献、観測情報、市民科学)を検索できます。
https://www.inventory.ikimono.metro.tokyo.lg.jp/search?taxon_id%5B%5D=01hs8bc8srw1em2t55t0wexper&county_id%5B%5D=01HRDWY7PRYGNYET8HM4KCSJ2D&county_id%5B%5D=01HRDWY7PRYGNYET8HM4KCSJ2B&database_category%5B%5D=article&page=1
従来実施済の赤坂御用地のトンボを再調査した内容では、「いきもの台帳」の観測情報程度の価値になるのではと思います。
情報提供ですので大学の推薦入試用の論文としてはふさわしくないと考えます(市民科学に協力したのが成果)。ましてや、内容に不正があれば市民科学への裏切り行為になります。
筆頭著者は、成果が認めらえますが、疑問に答える責任があります。
2015年(平成27年)6月14日
朝日新聞の皇室7daysには紀子悠仁二人の動きは掲載されていませんでした。
https://www.asahi.com/koshitsu/schedule/2015/
この頃、悠仁が自動車のドア開閉に熱中しているという女性誌の記事が出て、自閉の発達障害児らしい話だね、と話題になった直後の出来事になります。
https://www.jprime.jp/articles/-/6058?display=b
ネット上で、運動会公開動画で批判噴出し、直前には「ドア開閉が趣味」の話も公表されて、急遽美智子さまと謀議する必要でも生じたのでしょうか。
もちろん、悠仁の奇行ぶりにジジババも怖い物見たさとなり、まずは様子を見たいので葉山に至急連れてこいとなったのかも?
官報より
>令和6年 2024年2月15日付 [jinji]
官報 本紙 第1162号 8頁
人事異動 宮内庁
本文:
人事異動
宮内庁
(管理部長)内閣府事務官野村護
庭園課長事務取扱を命ずる(2月13日)
〇官吏死亡
管理部庭園課長田邉仁は、2月12日死亡 <
このことと果たして無関係だと言い切れるでしょうか。
悠仁トンボ論文は2023年12月4日に報道されています。
合同で協賛であれば他の職員なり何なりが影武者で書けばチームなのでその論分は筆頭の宮家坊やの物として世に発表して堂々と1次合格となるシナリオ、マスコミは合格に拍手喝采でその時の上の指示で放送するか沈黙か、翌日はトルコの話でもちきりで年内は安心に過ごす。