紀子さんは小学生のころ「日本語が全くできなかった」とある本に 母方・祖父のお声、どこかで聞いたような…?

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ナンセンスきわまりない「男系男子」論に押し切られて秋篠宮家に皇統を移すなら、次代の国母は紀子さまになる可能性が極めて高い。

だがその紀子さまは、大切な日本語の力がどうにも怪しく、弊ブログの【YOUR VOICE】では、以前にも増して紀子さまのルーツに関する疑惑を紹介することが増えている。

そんななか、神奈川県在住Hさんからメールを頂戴した。そこには「紀子さんが小学生の頃に見せた “日本語能力ジャンプ”。これに私は違和感を覚えます」と書かれていた。



 

◆「日本語が全く話せない」という人も

まずは、神奈川県在住Hさんからのメールを、ほぼ原文のまま紹介させていただきたいと思う。

 

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紀子さんの年譜を参照しながら考察します。

画像取得元: http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1352626205333.jpg

 

そしてこちらは、書籍「3LDKのプリンセス 川嶋紀子さんの魅力のすべて」からの引用となります。

 

小学校1年生のとき、アメリカから帰国したばかりで日本語がまったく話せなかった紀子さんだったが、それから3年後には大変身をとげた。

 

静岡から東京へ帰った昭和48年の9月、新宿区立早稲田小学校に編入、2年後の50年4月には豊島区立目白小学校に転校したが、翌51年、学習院大学初等科の編入試験に挑戦したのだ。

 

学習院の初等科の編入試験といえば、数ある私立小学校の編入試験のなかでも最難関。30、40人に1人合格するのがやっとというものだったが、紀子さんはこれに見事合格する。

 

さらに、紀子さんが学習院初等科4年生・5年生の時の担任の証言
「ええ、4年生からの編入でしたが、応募者100人ぐらいのうちから試験に通ったのはたったの3人。むろん成績は優秀でしたよ。特に作文力のすぐれた生徒でした。(以下略)

 

◆わずか2年10か月で難関校に編入

日本語が全く話せない小学1年の子が、帰国後2年10ヶ月で、難関校に合格するレベルまで日本語をどうやって習得したのでしょう。作文の力が優れていたともあります。

文部科学省の下記資料に、「特別の教育課程」による日本語指導の標準授業時数の設定について、日本語学習の標準的な授業時間数と期間が掲載されております。

小学校低学年の子で日本語が全くわからない(レベル1)状態から、日常会話に問題がない(レベル5)に達するまで2年程度、「3語~4語での会話ができる」(レベル3)の状態からの場合でも、1年8ヶ月は程度となるようです。

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/kaigi/1330290.htm

 

ただし、これらは日常会話が問題ないというレベルであり、教科学習言語能力を身につけるにはさらにかかるとのことです。

・言語能力として学校生活に必要な口頭言語力と教科学習言語能力とがある。

・年齢相応の教科学習言語能力が育つには5年以上かかる。

 

◆帰国子女などへの「日本語学習支援」体制は… 

紀子さんが小1で帰国したのは1973年のこと。日本の公立小学校で、外国籍児童や帰国子女への「日本語学習支援」が本格的に制度化・整備され始めたのは、主に1990年代以降です。

■Google検索「静岡市立中田小学校 日本語教育」
静岡市立中田小学校では、日本語による日常会話や学習に支援が必要な児童に対し、学校内に日本語指導員が訪問して個別指導を行う「日本語訪問指導」が実施されています。

■Google検索「豊島区立目白小学校 日本語教育」
豊島区立目白小学校には、独立した「日本語指導学級」は設置されていません。日本語指導が必要な場合は、入学後または転入後に学校長に相談することで、区の制度を利用した「日本語指導教育教員」によるサポートや「教育センター」の指導員による巡回指導を受けることができます。

■新宿区立教育センター
国際理解室 (昭和62年4月 開設)
https://www.shinjuku.ed.jp/~center-a/gyoumu/newdir0/kokusai.html

■日本語学習支援
指導時数は、1日2時間を基本とし、70回(140時間)を上限とします。

学習院初等科に編入するまで紀子さんが通っていた、静岡市・新宿区・豊島区の公立小学校の場合、現在でも日本語学習の支援は日本語指導員が訪問して個別指導を行う「巡回指導」が基本のようです。

だから紀子さんが、同学年の日本育ちの子でも合格が難しい「学習院初等科4年生への編入試験」に、なぜこんなに短期間の日本語学習で合格できたのが不思議です。

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昭和48年6月 米国から帰国。静岡市立中田小学校1年に編入
*** 「日本語がまったく話せなかった」***

昭和48年9月 新宿区立早稲田小学校1年に編入

昭和50年4月 豊島区立目白小学校3年に編入

昭和51年4月 学習院初等科4年に編入
***「最難関の編入試験に見事合格」***

〜 昭和52年1学期まで(5年生)
***「作文力のすぐれた生徒でした」***

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◆両親が指導した様子はない

小1当時の紀子さんの日本語力について、周囲の人々の証言も「全然話せない」「よく話せない」など報道によってバラツキがあるようです。

紀子さんが帰国後3ヶ月過ごした静岡市の杉本家(母・和代さんの実家)では、日本語を使って皆さんと意思疎通ができていたようです。

一方、中田小学校の担任教師は当時の紀子さんを「日本語が全然話せない」と言っていました。

また、インタビュー記事を読む限り、大幅に遅れを取っている小1の娘の日本語力について、両親の川嶋夫妻が「困難を克服するために何かをした」といった回想話は全く出てきません。

 


画像引用:『山田順プライベートサイト A ROAD TO HEAVEN』3LDKのプリンセス 川嶋紀子さんの魅力のすべて』(1)

 
以上が、神奈川県在住Hさんからのメールとなる。
 

◆ChatGPTに尋ねてみたところ…

HさんはChatGPTとこの件で会話ログをされていた。

「帰国子女の小学1年生の子供で日本語が全く話せない場合、日本の小学校に通いながら日本語を一般の児童と同じくらい話せるようになるまで、どれくらい学習期間が必要ですか?」と尋ねてみたそうだ。

回答のデータをシェアしてくださったので、ご紹介してみたいと思う。

 

ChatGPT:

https://chatgpt.com/share/6a080101-0704-8324-8098-44e49acd3570



◆物怖じしない性格だった 

母・和代さん方の祖父母となる杉本 嘉助さん、栄子さんがテレビのインタビューに応じたことがあった。紀子さまの幼少期について尋ねられると、嘉助さんはこのように答えておられる。

「小さい時はですね、大分運動好きで、たとえば水泳とか自転車に乗ったり、非常に活発で、物怖じしない。どちらかというとお転婆娘であったと思います。」

物怖じしない ― これは、遠慮や気後れすることなく、おじいちゃん、おばあちゃんにどんなことでも問いかけ、話しかけていた状況を想像してしまうが、紀子さまは当時、本当に日本語が話せなかったのだろうか。

 

◆お声の質や間の取り方が…

最後にちょっと話が少し逸れてしまうが、上の動画で杉本 嘉助さんと川嶋 辰彦氏のお喋りを両方聞くことができた筆者は、ふとあることに気づいた。

この男性おふたりは、声や話方がソックリではないだろうか。映像を少しずつ聞いてみていただきたい。(スタートは合わせてあります)

(祖父・嘉助氏)https://youtu.be/n6vKsHbBa_A?si=rmbL0Qw-8CvZzKyN&t=281

(父・辰彦氏)https://youtu.be/n6vKsHbBa_A?si=FA74r-uAU3_CLJkw&t=221

こんな考えが頭に浮かんだ。

和代さんのご両親は、もしかすると日本語が苦手でいらっしゃったのかもしれず、急遽、辰彦氏が実父(辰彦氏には養子説がある)にお願いして出演してもらった、ということはないだろうか。

(朝比奈ゆかり/エトセトラ)

画像および参考:
『山田順プライベートサイト A ROAD TO HEAVEN』『3LDKのプリンセス 川嶋紀子さんの魅力のすべて』(1)PDF(1990年6月20日、ブレーン出版)

『YouTube』川嶋家の子育て1/2 母和代さんから紀子様へ tw0ku

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