【YOUR VOICE】水俣病70年の回顧番組で昭和電工新潟水俣病の話題が 文仁氏誕生の年は一族が生きるか死ぬかの天王山だったそう
※ こちらは【YOUR VOICE】女性天皇の子は天皇にならずと誤認させるため? 百地 章氏が宮内庁使用「天皇系図」を改ざんした奇妙な系図を作成 に対し、読者様から寄せられたコメントです。
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今年は水俣病70年ということで回顧番組もあり、そこで阿賀野川の昭和電工新潟水俣病をどう扱っているのかに興味があって、先日放送の二回連続NHK・Eテレ特集も見ていました。
すると、水俣の人々にとって1965年という年は新潟水俣病で進展があり、その結果対策が前に進んだ大事な節目の年だとNHKで解説する人がいて、やはり文仁さん闇養子説とも符合するなと思いました。
というのも、水俣では戦前から新潟(鹿瀬)とほぼ同時期からアセトアルデヒドを製造開始し、廃液を無処理で外部に排出をはじめており、相思社サイト「水俣病関連詳細年表」のまとめでは、
昭和07年(1932年5月) 日窒・水俣工場、第1期アセトアルデヒド・合成酢酸設備の稼働を開始。廃水は百間港(水俣湾)へ無処理放流
昭和11年(1936年3月)昭和合成化学工業、鹿瀬工場でアセトアルデヒド生産開始。阿賀野川へ放流
とあります。
(昭和14年 昭和肥料と日本電気工業が合併して昭和電工を設立)
昭和17年には水俣市月浦に水俣病患者(4才4ヵ月)が発生(1972年熊大第2次研究班の調査で判明)していて、戦前から奇病として知られていました。
戦後も対策は全くとられることなく、
昭和28年 この頃、水俣湾周辺で魚が浮上、猫が踊り、海鳥やカラスが舞い落ちる現象が見られる
昭和28年12月 溝口トヨ子(水俣病と公式確認されている第1号患者、水俣市出月、当時5歳11ヶ月)が発病(患者番号1、S31.3.15死亡)
昭和29年 水俣市の男性、求心性視野狭窄などの神経症状を訴えて新日窒付属病院に入院。細川一院長らが初めて接した水俣病患者で、水俣病発見の糸口となる
昭和31年 新日窒附属病院(細川一院長)、小児科の野田医師を水俣保健所(伊藤蓮雄所長)へ派遣し、原因不明の神経疾患児続発を報告(水俣病発生の公式確認)
昭和31年5月8日 西日本新聞が水俣病について初めて報道。「死者や発狂者も/水俣に伝染性の奇病」
と次々異変が認められるも、対策は放置され、会社では社員らに箝口令状態が続きました。
昭和32年4月 伊藤蓮雄水俣保健所長、猫実験で水俣病の発症を確認し、水俣湾産魚介類の毒性を実証(投与開始後10日目)
この猫が踊るという動物実験は、餌に廃水をかけて与えると起きる現象で、原因究明の決め手となったものとされ、NHKでも当時のフィルムを放映していました。
その後の交渉経緯は省きますが、安西家としては水俣で起きていたことは逐一知っていたはずです。なのに鹿瀬では対策もせず、補償も遅れ、すべてが水俣より後手後手になっていったことが、両者の比較年表からもわかります。
原因が先行する水俣の症例や報道を通じて、知りうる立場だったのにも拘わらず、昭和電工では対策してこなかった責任は業務上過失致死罪の成立しやすい可能性とつながります。
昭和34年12月には「昭和電工安西社長、日本化学工業協会の産業排水対策委員長に就任」とあります。これでもまだ安西家は公害の原因に気づけなかったと言えるでしょうか。
文仁さん出産前年に目を移すと、新潟でも動きが出始め、「昭和39年11月12日 新潟市の住民、原因不明の神経疾患で新潟大学附属病院脳神経科に入院」という時点で、もはや経営者責任は免れまいと、社内では大騒動になっていても不思議ありませんでした。
すると年が明けるや、昭和電工は卑怯な手をとったのです。証拠隠滅とも取れる図面焼却と生産プラント解体です。
新潟水俣病資料館・水俣病関連年表によると、
昭和40年1月10日 昭和電工鹿瀬工場、アセトアルデヒドの生産を停止
*アセトアルデヒド製造工程図を焼却し、製造プラントを撤去
1月18日 東京大学椿助教授(後に新潟大教授)、新潟市の入院患者を診察し有機水銀中毒症と疑う
5月31日 新大の椿・植木両教授、新潟県衛生部に対し「原因不明の水銀中毒患者が阿賀野川下流沿岸部落に散発」と報告
-新潟水俣病発生の公式確認-
6月12日 新大の椿・植木両教授と新潟県衛生部、「阿賀野川流域に有機水銀中毒患者7人発生、うち2人死亡」と正式に発表
昭和40年1月こそが昭和電工にとっては、生産ラインの図面を焼却し、生産プラントを解体せねばならないほどに追い込まれるという、経営者一族にとってはまさに生きるか死ぬかの天王山だったはずです。
これらと文仁氏の公式の生年月日(昭和40年/1965年11月30日)から逆算すると、当時とんでもない謀議が親族間でかわされていたとしても、仮に新婚夫妻の御長女が昭和39年/1964年6月に出生後、「次の子」を皇室に貰う話だったのならば…?
次の子の出生届はわざと出さずに、どこかで極秘養育させ、美智子さまの出産演技後に、皇室へ闇養子を献上 ― これにより、とてつもなく有力な検察対策となるロイヤル・ガードバリアを得たとしても驚かない、秘められたる経緯を垣間見せられたような気にさせられました。
すでに浩宮さまがおいでだったのに、敢えて外から闇養子など必要なく、またすべきでもなかった。それなのに、なぜまたこの時期だったのか? 美智子さまの実家や親族共通の一大事、危機に、伝家の宝刀「不逮捕特権」を確保しようと、闇養子の皇室引き入れを計画したのかとさえ疑いたくなるグッドタイミングではありました。
その後の「献上効果」はめざましいものがあったと見られます。
昭和電工へは、昭和47年7月に県警が捜査打ち切りをしており、しかもこのことを報じたのは「しんぶん赤旗」だけでした。『 “犯人昭電”を逃がす 警察刑事責任の追及打ち切る 新潟水俣病患者ら企業べったりに怒り』という記事で、県警とマスコミ双方からの患者への冷淡な仕打ちが伝えられたのでした。
その後、昭和50年7月に殺人・傷害罪で昭和電工関係者が刑事告発されるも、翌年には不起訴処分とされます。
とにかく公判請求まで進んだ熊本の水俣とでは大違いなのです。
昨今の悠仁さま裏口入学やトンボ論文不正追及などで頻発する不可解なロイヤル特権も、既にこの時代から始まっていたとみれば、いずれもどこかで見たような、既視感ある光景に見えてくるから不思議です。
参考サイト:新潟県立環境と人間のふれあい館
水俣病関連年表 http://www.fureaikan.net/minamata/history.html
新聞記事検索 http://www.fureaikan.net/data/np.php
一般財団法人 水俣病センター 相思社
水俣病事件主な争訟 https://www.soshisha.org/jp/about_md/suits
水俣病関連 詳細年表 https://www.soshisha.org/jp/about_md/chronological_table
(コメント欄:匿名さんより)
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