【YOUR VOICE】戦争を避けるため懸命に手を打とうとされた昭和天皇 マッカーサー元帥は「天皇はすべての日本人の象徴」と 

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4月26日付の記事『これだけはお伝えしなければと、追記させていただきます【記事削除のお知らせとお詫び】』を読みました。

この度の記事削除に至る原因は、論文不正のスペシャリストならぬ素人さんたちでも見抜けるほどのネカト論文を、国立科学博物館も秋篠宮家も「取り下げようとしなかった」ことの弊害であろうと。

皇族が関わっているテーマだけに、結局声を上げた善良な国民が潰されてしまいました。忌々しい話ですね。

今回は「天皇は象徴」について、1989/3/25発行朝日新聞の紙面でみる「昭和天皇87年の生涯」から一部ご紹介させて頂きます。昭和天皇が崩御されてすぐの記事です。

明治34年お生まれになった「裕仁」親王のお名は、祖父の明治天皇が命名されました。

 

威厳のあった明治天皇が怖い、恐ろしい存在であった孫たちの中で、裕仁親王は怖めず臆せず、おじじさま、これを拝見と平気で置物を手にされたりと、慕われていたそうです。御用邸に招かれたドイツ人医師は、幼き昭和天皇を「落ち着いたお声と静かなご態度で、非常にお可愛らしくお優しいところがある」と日記に書かれている。

 

明治天皇の信任が厚かった乃木学習院初等科院長は、皇孫を迎えるにあたり「御健康を第一と心得るべきこと。御宜しからざる御行状を拝し奉る時は、之を矯正申し上ぐるにご遠慮あるまじきこと。なるべく質素に御育て申し上ぐべきこと」を全教員に徹底させ、自分も実行した。

 

明治天皇はあるとき乃木院長に、裕仁親王はどういう方法で通学しているかと聞かれ、「晴れの日は歩き、雨の日は馬車を使っています」と答えると「それはいけません。雨の日も外套を着て歩いて通いなさい」と言われた。乃木院長はその時、贅沢はいけないと教えられ、質実剛健と言うことを学んだと、のちに話されている。

 

生来病弱だった父大正天皇に代わり、原敬首相らが国をあげて、若き皇太子に広く世界を知ってもらおうと推進、大正10年日本の皇太子として初めてヨーロッパを訪問。英、仏、伊、ベルギー、オランダを軍艦で地中海を航海中に、20才のお誕生日をお迎えにもなった。

 

篭の鳥のような生活だったのが、人として初めて自由を知ったのみならず、英国王ジョージ五世から親しく「立憲君主はどうあるべきか」を教えられて、それで自分の考え方の基礎が定まった。

 

スコットランドのアソール公爵邸で、うち解けて交わる主従の情景を見て、「皇室と国民との在り方」を考え、ヴェルダン(仏北東部)など第一次世界大戦の戦跡の惨状を視察して「益々平和を熱望する念を生ぜり」と原敬首相に述べておられる。

 

*このヨーロッパ訪問が皇室の重要事項「欧州外遊は、摂政就任の準備行為」事実上の皇位就任を示唆している。

 

昭和天皇は「戦争を避けようとして、打てる手はことごとく打ってみた。しかし立憲君主としては、国務については政府、軍務については陸海軍統帥部が輔弼(ほひつ)の責任を持ち、両者が一致して開戦の裁可を請われた場合、私は意に満ちても満たなくても、宜しいと裁可する以外執るべき道はなかった」と心境を話された。

 

東京裁判では、大臣の進言に従って国際法上の犯罪を犯したことに対しては、立憲君主でも赦されるものではない。という見解が一方である。昭和天皇は終戦の昭和20年9月27日占領下の連合軍総司令官マッカーサー元帥を初めて訪問された。

 

その時の模様を、天皇は「男子の一言であり言えない」とされているがマッカーサー元帥は回想記でこう書いている。

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私は、はじめ天皇が戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を訴えるのではないか、と不安を感じた。しかし天皇の口から出たものは『私は国民が戦争遂行に当たって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に全責任を持つ者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにお訪ねした』ということだった。私は死をも伴うほどの責任を引き受けようとする勇気に満ちた態度に、骨の髄まで動かされた。当時はまだ天皇制をどうするか、米国の政策も決定に至っておらず、日本を侵略に駆り立てるかなめ石として廃止すべしとの強硬論と、天皇は女王バ蜂のように日本社会の統一と安定をもたらしており、その統合力を占領政策に利用すべしとの論が相克していた。
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しかしマッカーサー元帥はこの会見によって、「天皇はすべての日本人の象徴である」と「象徴」という言葉を初めて使った電報を本国に打ち、「天皇を戦犯として裁判にかける場合、何世紀までも日本国民から復讐され、そのためには最小限百万人の軍隊が必要」と意見を具申した。

 

米国政府は天皇制を改革しつつ占領政策に利用する方針を固め、東京裁判に訴追しないことを決める。これまでの敗戦国の君主の多くは追放され、王制も廃止されるのが普通だったが、天皇と天皇制は希有にも生き残った。

 

その後天皇は、国内外に流布された神格を否定、いわゆる「人間宣言」をされ、「戦争を防止出来ず、国民に災禍に陥らしめたのは誠に申し訳ない」と地方巡幸の旅にでられた…。

 

以上、昭和天皇とマッカーサー元帥の秘話による「憲法第一条、天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」の誕生過程であり、憲法の一条がとてもよく理解出来ると思います。

ご幼少より将来の天皇として、厳しくも優しいおじじ様や側近に帝王学を学ばれ、立派な人格者になられた昭和天皇は、激動の時代を生き抜かれ、命をも厭わず全責任を果たされるその真のお覚悟が諸国のリーダーたちを感動させました。「憲法第一条」は昭和天皇の魂とさえ思われ絶対守られるべきものだと強く感じます。



 

 

昭和天皇から僅か一時代を経て、現状の政府、一部皇族は視点がずれ、体たらくになっていて、本来のノブレスオブリージュはどこにも感じられず、「象徴」にはほど遠い存在だ。

高市首相の日本列島を強く豊にする、そのために皇統は男系男子、倫理に背いた人工男子をあらゆる手段で、再度「現人神」に祭り上げる、武器を輸出して金儲けをする…言い換えれば富国強兵とも言えそうだ。

皇室に近い麻生、森両氏は皇嗣のDNAに不安を感じていて、養子案を急いでいるのかも知れない。昭和天皇がお生まれになった明治34年のあとに創設された、一代宮家のはずの旧宮家の末裔が皇位継承を目的とした養子になったところで、象徴には到底なり得ず、諸国からも見下されるだけだ。

(メールで:関西在住Cさんより)



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