秋篠宮邸ほど近くに建てられた7,400万円「女子職員」住宅 内部の造りに何名向けなのかも不明

最近話題の悠仁s疑惑。弊ブログでは、神奈川県在住Hさんの気付きをきっかけに、ここまでずっと秋篠宮家専用の7億円プレハブ棟に「悠仁s」との関係を疑う記事を書いてきたが、筆者のなかにもう1つ、「では、お世話をする女性たちはどちらに暮らしていらっしゃるのだろう」という疑問があった。
もしかしたら…と思うものを発見したので、今回はそちらについてご紹介してみたいと思う。
◆特別な女子職員がいる
世間には「悠仁さまのお世話を許されているのは、血のつながった祖母・川嶋和代さんではないか」という根強い説がある。ただし、和代さんも本当に高齢であり、指示を出すことはできても、実際に働いておられるのは、もっと若い女性数名ではないだろうか。
そして宮内庁は、その女性たちを保母、保育士、看護師などとして雇用したと公表するわけがない。おそらくフツーに「女子職員」として登録されているだろう。
しかし、彼女たちは特別な存在である。秋篠宮邸や問題のプレハブ棟からそう遠くない場所にきれいな住宅を用意し、そこから通ってもらうのが一番ではないだろうか ― 筆者はそんな風に想像した。
◆内部が特にキレイな住宅
そこで「赤坂御用地 東地区 女子寮 女子職員 住宅」とキーワードを入れGoogleで検索すると、トップにヒットしたのは「アイガー産業」さんという企業が手掛けた工事の事例。『赤坂御用地 東地区女子職員棟新築ほか工事』という記事には、何枚もの写真が紹介されていた。竣工は2016年だそうだ。
ただし、少し不思議な感じがする。
この建物の外見からは、8畳1Kあたりを職員8名分用意したような印象を受けたが、内部の写真を見るとまるで違う。
1階玄関回りにはゆったり大きな空間が設けられ、収納部分は実に大きい。そしてキッチンや居室も立派。もしかすると、たったの2~3名でここを使用しているのでは…?
◆1億円弱の予算が組まれていた
宮内庁のPDFに、その女子職員住宅の建設に関する『入札・契約調書 赤坂御用地東地区女子職員棟新築ほか工事』が見つかった。落札こそ約7,400万円であったが、発注にあたり宮内庁が9,300万円ほどの予算を組んでいたことには驚くばかりだ。
この建物の場所は、秋篠宮邸分室(旧ご仮寓所)の東隣で、一般の職員さんたち向けの官舎との位置関係はこうなる。

こちらのGoogle Mapを見る限り、一般の職員向け官舎は南側になぜか大木が立ち並び、そのエリアに暮らす皆さまの建物が見えないようになっているようだ。

■謎のプレハブ棟と悠仁s疑惑は果たして関係があるのだろうか、ここまでの記事はこちらをどうぞ!
◆まとめ
一般の女性職員さんたちとは一線を画し、居室も大きい心地よい新築住宅を与えられた特別な女性たちがいる、というこの事実。
秋篠宮家のごく近くで「住み込み」にする必要があるとしたら、男性なら警備の仕事があるだろうが、女性なら誰かのお世話をするためであろう。そこには一体どなたが暮らし、どなたに仕えていらっしゃるのだろう。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『アイガー産業』赤坂御用地 東地区女子職員棟新築ほか工事 2021.11.05
・『宮内庁』入札・契約調書 赤坂御用地東地区女子職員棟新築ほか工事(49頁)
・『エトセトラ・ジャパン』謎の秋篠宮家専用プレハブ棟に悠仁sとの関係を疑う(ここまでの記事)
女子用のアパート 気になっていたので、
開き度の窓でなく縦型の上下です。カーテンでなくブラインドタイプです。
洗濯物を干すところないので、
ドラム式洗濯機の乾燥機付きなのでしょうか。
トイレや風呂場の情報がないので
天井に冷房や暖房入れるタイプだと思います。
北側に室外機と給湯器あるのかな。
ホームエレベーターあるかも。寝台が使える奥行きに二メートル以上あるから、
普通の家の階段と違い傾斜緩やかです。
実態は広い一戸建て、外見は地味な集合住宅。
やはり親族の住居では?
理由①
聞こえてくる職員への対応(パワハラ疑惑)からみて、職員にこんな広々とした住居を用意するとは思えない。たとえ離れた職員寮に居ても「呼んだら、とんでこい」くらいの認識では?
また、悠仁さまと同じ建物内に部屋を用意する事も十分可能。
理由② 有刺鉄線に囲まれた「プレハブ倉庫?」からみて、影用の住居とも思えない
理由③ 皇族でない親族を同居させると世間から非難されるため、外観だけ地味な職員寮風なのでは?
この御用地にしては、摩訶不思議な建物。何なのでしょう。
一戸建て住宅なんか御用地内には不要のはず。宮内庁長官の住む官舎でもないんでしょうし、長官クラスならば皆さん既に立派な自宅を所有されています。
悠仁sたちが少年院のような脱走防止対策の完備した有刺鉄線の中で集団生活させられている状態は一種の拘禁状態であって、精神的に異常を来しても致し方のない環境といえます。
刑務所では、釈放や刑期満了が近づくと、外の世界に出て、いきなり挙動不審者のようになっては困るので、娑婆になれさせるために、男子は丸刈りを中止し、男女ともに別の民家のような建物に移動して、そこで生活訓練をするそうです。時々テレビでもやっていますよね。
それと同じ事を、悠仁sたちもさせられているのではないでしょうか。
たとえば例のバミリですが、あれは少年院で集団訓練としてたたき込まれる動作に、一線に整列しては行進、並ぶことを繰り返しさせられるのがあって、境界知能児には覚えられない動作の一つとされます。同じ方式で、赤坂ヘールシャム内でもしこたま同じ訓練を仕込まれてきたため、ついつい公務先でも出てしまうのだと考えられなくないのです。
公務練習と称しては、朝から晩まで歩き方や立ち方を、床に線を引かれた上を往復させて訓練し過ぎ、すっかり精神が壊れてしまったのかとも思います。
そんな失敗を重ねてきたことで、囚人管理になれた警察関係者から、赤坂ヘールシャムから出す前にしばらく、別棟でならした方がいいとでも助言され、いわばヘールシャムから解放する前の訓練期間として寮母さんのような人と一緒にこの建物内で暮らすことになったのかとも思えてくるのです。となると、現在の筑波大生になっている悠子さんなんかは、この建物内で生活しているのでしょう。他にもまだ控えの悠仁sとして出番を待つ新人さんがいれば、一緒に共同生活しているのかも知れません。紀子さんが、紀子腹といわれる悠仁1号以外を宮邸内に同居させるとは到底思えず、代理母の生んだ子には一切愛情をかけず、いつでもドナー要員に落とせるよう、冷酷に管理させたがるはずですから。
通報大好きな【*いっぱい】のヒトが 何度もコピー投稿しています。
↓
◈秋篠宮家の宮邸改修の内訳を見るとこうです。
私室は狭く 佳子さまは仮住まいされていた事務所分室に残られ職員と同居している。
外観は無機質な事務所というか倉庫にも見え皇族には相応しくない。
私室部分5% 公室30% 事務棟65%
上皇夫妻に、秋篠宮家が入る予定の東宮邸をとられて小さく古い旧秩父宮邸に引っ越した。
増えた事務方スペース作る改修が必要だからほとんど公室や事務室だ。
次期天皇の皇嗣になったから事務方20人から50人にも増えたしとても入らない
あの70億円にもなる改修工事費、秋篠家4人の私室は 全体の5%だと 言い切るヒト。
土地は日本一の最高地。建築費だけで 70億円
秋篠家支持のヒトヒトは、情報過疎❓️
17社中15社が入札辞退しています。ここに注目です。
別に技術的に困難な案件でもないし、普通の家でしょ。しかも木造だからどの社でも出来る仕事のはずですが・・・
最初はそう思ってたくさん集まってきたが、その家の用途を聞いて震え上がり、「触らぬ神に祟りなし」と考えて一斉に辞退したか、入札談合があったのかですが、金額的に談合するような額でもないことから、やはり悠仁s女子たちの招待所建設で、何らかの脱走防止設備を要求されたのか?
お仕置き部屋つきで女子少年院並み設備が求められると途中から知って、入札から降りたのか。それとも秋篠宮はんの恋人と同棲するための「密会の館」なら、紀子さんが嫉妬から全力で工事妨害してきそうだから、後難を怖れ、とにかくは逃げ出そうとなったのではないでしょうか?
完全な一軒家ですね。
玄関、階段(中央)、キッチンと掃き出し窓、二階には階段室を基点に振り分けで居室。一家で暮らすスタイルなので、いまどきの公務員が女子寮のような形で共同生活することなど想定できないので、秋篠宮の愛人宅か、悠子組の宿舎か、二つに一つしかありえないと思います。
外見はアパート風にみえますが、内部は普通の家です。夫婦の寝室、子供部屋が二階、一階に書斎やゲストルームにもなる部屋つきでしょうか。悠子が三人、先生役の夫婦が住み込みで悠子を監視、指導、お世話か。あるいは、秋篠宮が手に入れたかった好きな女性との理想の夫婦生活の場なのかも知れません。
佳代さん用のお住まいかと思ったり。悠仁さんsのお世話係指揮者として長年君臨した和代さんがご高齢で引退なさるとしたら、代わりができる人=お任せできる人は全ての秘密に精通し利害関係も共有する佳代さんが最適任では。
文仁氏の愛人とその子供達を住まわせるための施設なのかも知れませんよ。
これまでは目黒のマンションとか、経堂の一軒家とか噂はありましたが、母子の安全を保証し、かつ学習院に通わせたい意向から、学習院に近いこの場所に囲い込んで、文仁氏の通い先も御用地内に限ることで、外部に漏れないよう徹底コントロールするためです。
少なくとも紀子腹の悠仁1号が退役し、実質的廃嫡にされた今、他の妾腹の子でも健常児なら重用したいところでしょう。
見慣れない顔した悠子さんの実母が誰なのかも大問題なので、紀子系を避け、愛人が生んだ子から健常児を選び、帝王教育と称し囲い込み出した可能性は捨てきれません。
こんなにも職員さんの宿舎があったとは知りませんでした。
秋篠宮家に近いわけですから何かあったらすぐ呼ばれそう。
どれだけの人が住んでいるのか知りませんがそれなりにゴミは出ますよね?
でも、作るはずだったゴミ処理施設は取り止めになりましたよね。
では、どこで処理を?職員さんのゴミは良いとしても秋篠宮家のカタカタのゴミは一般家庭のようにゴミ袋に入れて出せばいいわけじゃありませんね。でも、どこかにあるはず。どこ?
常時、警備してもらってるから安全は保証されてるけど歩いてちょっと近くのコンビニまで行けなくてその部分は佳子さんが言うようにカゴのトリということになるのかな?(でも、佳子さんがコンビニに行ってた写真を撮られてましたけどね)
宿舎の外観の窓と、内側の窓の位置が違うように感じます。また、外観左手は広い間取りに見えますが、右手は(メゾネットタイプになっているのかわかりませんが)普通のアパートタイプに見えます。
左半分は何人かの共同生活ができるだろうけれど、右半分は個室向けのように感じます。そして、窓に脱走防止の柵が見えません。なので、悠仁sのお世話係の住宅ではないかと推測します。
某国から連れて来られた方々を、左半分で共同生活させ、慣れてきたら右半分に移すとか。あるいは、日本人は右半分に住まわせるとか。外側の窓を見ると、そう思われます。
わたしもたまたま悠仁s専用招待所の位置を探すうちに、この建物の存在に気付き、内部写真に驚いていたところです。これは、今や悠仁sのなかでも支配的地位にのし上がった、女子組悠仁s(悠子シリーズ)のための招待所なのではないかと睨んでいます。
というのも、男子組はもう使い物にならない子ばかりなのか、脱走を企てたり、○子さんに「添い寝」を要求したりと、檻の中にいれておくしかない発情ぶりなのかも知れませんが、女子組はそこまで精神的に荒廃していないでしょう。はめ殺し窓や有刺鉄線のない普通の宿舎で暮らし、ブータンで主役となった悠子1号はどこかの女子校にでも通学させられ、2号は男子に扮して筑波大生役、ほかにチョイお出まし用の3号など、最低三人はいて、それぞれに一室(一戸)ずつがあてがわれ、ほかにお世話係の女官役で躾や記者会見予行演習担当職員が、北朝鮮招待所方式で、24時間監視を兼ねて各悠子の部屋に同居しているのではないでしょうか。
まるで母親のようにして世話を焼き、食事もそれぞれのキッチンで作って食べさせてもいるのかも。もちろん、女性としての男性との密会は絶対に許されないので、そこは厳重に監視、管理されていることでしょう。
性転換には「注射、ジェル、パッチ、錠剤」の四通りの方法があるとされ、それそれ長所と短所があります。興味のある方は、こちらのサイトを御覧になってください。
(https://aquabeauty.co.jp/2022/07/13/2120/)
実際、実戦投入可能なのは悠子シリーズだけしかいないとわかり、帝王学を施される方針も大転換されたものと思われます。
日本の皇室とタイ王室が親戚だったとは知らなかったよ!
お血筋に?が付く皇族のせいで国民の知らない間に血税が滔々と流れて行く、、
>2、本妻探し ~どう見ても親戚~
2024年2月16日 ラブのママ
上記文言2を除き「本妻」→「ホンツマ」と変更し、吹き込んだら出ました。
>私が思うには、この問題を表ざたにしない代わりに相当の約束を強いられたと思います。チュラボーン王女を正室同等の扱い、若しくは正室(離婚してないが、いずれ離婚で)母子に対しての相応の経済的保障など、、
>秋篠宮の結婚式にシリトーン王女が列席しましたね。
1991,天皇皇后が9月26日~30日タイ訪問
92年は9月秋篠宮がタイへ11月秋篠宮と紀子さんが、インド、スリランカ、タイへ シリキット王妃の還暦祝に出かけてます。
1993年4月タイシリキット王妃が来訪日 1995年までチュラボーン王女が来日 皇居でお茶や昼食などの接待を受けてます。
1996年3月には秋篠宮一家がタイ訪問、4月には秋篠宮が一人でタイ訪問 11月にはチュラボーン王女が来日
1997年5月チュラボーン王女とシリキット王妃が来日
1999年6月秋篠宮、紀子さんベトナム、ラオス、タイ訪問
2001年8月秋篠宮、紀子さんタイ訪問 10月にはチュラボーン王女皇居訪問
2003年8月秋篠宮一家でタイ訪問 シリキット王妃の誕生日祝い
2004年にはタイのシリキット王妃72歳のチャリテイーコンサートに。日比谷
2005年8月秋篠宮、タイ訪問
2006年6月天皇皇后タイ訪問 8月 秋家でシリトーン王女と面会
10月、クミポン王60周年のジャズコンサート 日本 秋篠宮参加
10月チュラボーン王女皇居訪問 11月、チュラボーン王女皇居訪問
2007年3月秋篠宮タイ訪問。8月秋篠宮、眞子さんバンコク経由でマダガスカル
10月チュラボーン王女皇居訪問
2010年10月シリトーン王女と昼食会秋篠宮、紀子さん
11月チュラボーン王女皇居訪問チュラボーン王女12月骨折
2011年3月秋篠宮タイ訪問
2012年11月秋篠宮タイ訪問
2013年チュラボーン王女名古屋大学、皇居で昼食
2014年チュラボーン王女SLE発症、手術
2015年チュラボーン王女来日
2016年11月チュラボーン王女皇居訪問、京都大学
2017年10月プミポン国王葬儀に秋篠宮、紀子さん出席
(中略)
>興味深かったのはタイの首相や大使と随分頻回に会うのだなあということでしたがここには載せていません。ただ国ぐるみの何かがあるのでしょうね。
(詳しくは本文で)