秋篠宮親子は立皇嗣の礼や成年式でショラテンとして扱われたのだろうか 今上陛下の成年式との大きな違いがわかる写真
上皇さまの生前退位に伴い令和の世が始まり、天皇陛下の即位が盛大に祝われると、これまでなかった「立皇嗣の礼」という秋篠宮さまのための儀式も執り行われた。その際、「秋篠宮さまが皇太子になることを国内外に宣言した」とおっしゃる方もいたが、実際のところ、いまだに立太子の話は出ていない。
もしかすると、皇室内では「秋篠宮さまは皇嗣が精一杯でしょう」という感覚で、皇太子になって頂くつもりは当初からなかったのかもしれない。ご長男の悠仁さまに対しても同様に…。そんなことを疑いたくなる、ある画像が読者さまにより送られてきた。
◆冠の纓(えい)にご注目を
昨年9月の悠仁さまの成年式では、「加冠の儀」の見事さが大きな話題になった。冠は、纓(えい)と呼ばれる部分が後方に向かって折れ曲がって垂れていたが、天皇陛下の冠は立っており、秋篠宮さまや悠仁さまのそれは垂れていた。
纓の曲がり方にはきちんとした違いがあるもよう。コトバンクからスクリーンショットをお借りしてみた。

https://kotobank.jp/word/纓-35797
◆読者さまが送ってくださった画像
こちらはXで相互フォロー中のbunchan(@bunchan86447563)さんが送ってくださった画像である。

陛下は20歳になられた1980年2月、成年式の「加冠の儀」で纓があまり強く曲げられていない冠をかぶられたことがわかる。後方にやや倒れているか、完全に垂れているか、曲げの角度は…? これは、意外にも大事なことだそうだ。
こちらは47news 『<あのころ>浩宮さま、成年式で決意 1980年2月23日』からお借りしたスクリーンショットである。

この纓と、その5年後に秋篠宮さまが成年式でかぶられた冠の纓はどう違うのか、読売新聞の『悠仁さま成年式 40年ぶりの皇室行事、注目ポイントは?』という記事にわかりやすい解説があった。

今上陛下の成年式が執り行われた1980年は、まだ昭和天皇がご存命で「皇太子」は明仁さまであり、当時はまだショラテンの身位であった。それでも纓の曲がり方はとてもゆるいものだった。
昭和天皇がいかに浩宮さまを信頼し、その世がくる後世に期待しておられたか、それを物語っているかのようだ。

小さな文字だが、上の画像の説明が見えるだろうか。
纓の曲がり方は身位によって差があり、親王の垂纓は皇太子(皇嗣)の垂纓よりも強く曲げられている。
◆秋篠宮さまのための「立皇嗣の礼」はどうだった?
では、秋篠宮さまのために2020年に執り行われた「立皇嗣の礼/宣明(せんめい)の儀」はどうだったのか、報道写真で冠を確認してみた。


「親王の垂纓は皇太子(皇嗣)の垂纓よりも強く曲げられている」という上記の説明を考えると、このときの秋篠宮さまは皇嗣であり、冠の纓も、今上陛下の成年式のときと同じくらい「ゆるい曲げ」にしておいてもよさそうなものだが…。
改めて悠仁さまの成年式の冠も比較してみる。

強く曲げられた垂纓の角度を考えると、悠仁さまというのは、あくまでも皇位継承順位が暫定第2位の親王でしかないのかもしれない。
◆皇太子と呼ばれたいが、皇嗣のままがラク
「紀子さまだけが欲を出しているが、実は秋篠宮さまご本人は皇太子にも天皇にもなりたくないのでは?」という見方がある。そして、ご自身の能力的なことを考え遠慮しているというより、損得で考えているという人も多い。
もしも皇太子になり、内廷費でやりくりさせられるとなれば、今のような好き放題の贅沢ができないうえ、ご公務先でお車代を受け取ることもできない。
皇嗣として独立した宮家を名乗っていればこそ、経費全般とは別に皇族費(1億2,500万円でも足りないとこぼしておられるそう)が支給されるが、皇太子になってしまうと、それも受け取れなくなる。
また、天皇皇后両陛下が海外公務でお留守にされた際、皇太子ならさまざまなことを代行しなければならず、祭祀も覚えなければならない。動物園や水族館の見学などしている場合ではなくなるのだ。
にもかかわらず、海外向けには皇太子であると思わせたいので “Prince Akishino” ではなく “Crown Prince Akishino” と読んでもらうことにしている。つまり、今の秋篠宮さまは皇太子風にみせながら皇嗣のよいところは決して手放さず、つまり両方都合よく使い分けておられる状態だ。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『読売新聞』悠仁さま成年式 40年ぶりの皇室行事、注目ポイントは?
・『コトバンク』纓(読み)エイ
・『日本経済新聞』秋篠宮さま、立皇嗣の礼 国の代替わり儀式全て終了
・『産經新聞』装束「昇る朝日の色」奈良時代に規定