おっとりしているように見えてキツイ性格? 紀子さま母・和代さんの昔の動画に身震い
殆どのご家庭で、ひとり娘というのは母親ととても仲が良いもの。そして年齢を重ねるごとに、父親や男きょうだいから「どんどんお母さんソックリになってくるね」と言われたりするようだ。
どうやらこれは、川嶋和代さん、紀子さま母娘にも言えるようだ。愚鈍なのにいやらしいモノの言い方をするキツイ女 ― そんな紀子さまの性格は実は母譲り。そんなことを感じる、あるビデオをご紹介してみたいと思う。
◆礼宮さまとのご結婚が決まり…
今では多くの国民が「すっかりそれに騙されていた」と言うが、はにかんだような笑顔がそれは美しかった20代前半の紀子さま。上手に猫をかぶって皇室にお輿入れをしたと言う意味では、稀に見る人生のとんでもない成功者に違いない。
婚約を果たした際の川嶋夫妻は、記者会見でどんなことを語ったのか、まずはYouTube/tw0kuチャンネルさんの『川嶋家の子育て1/2 母和代さんから紀子様へ』をご覧いただきたい。
(スタートは合わせてあります)
マイクに向かって、娘に生き方を教えるなか、どういう風にするとよいか「~と娘を誘導…。教育と言うよりは、誘導して参った」と、ちょっと特殊な言い回しをされた父・辰彦氏。続いて母・和代さんは紀子さまの教育について、こう述べられた。
「あまり自由すぎますのも、どうかと存じます。わたくしは、親といたしまして、ある程度の規制をもって、娘を……、に、接してまいりました」(原文ママ)
◆教頭先生タイプ?
「ある程度の距離感を保ちながら、娘と接してまいりました」ならよく聞くが、「規制をもって」という言い回しは聞いたことがなかった。子供のしつけや教育なら、規制ではなく、規律を重んじて、とか、自制心や節度、礼儀作法などを大切にするように…といった表現の方がしっくりと来るように思う。

お話が非常にゆっくり過ぎるわりには、「娘を……に、接してまいりました」と言い間違えてしまった和代さん。何か文章を頭に叩き込んで会見の場に臨んだのかもしれない。
外見は小学校の教頭先生といった雰囲気で、さもお上品そうにツンと澄ましながら「あまり自由すぎますのも、どうかと存じます」とお話するのは、あまり好感が持てない。実際の紀子さまは、文字通り「かなり奔放なキャンパスライフ」で、お泊りもご両親公認だったというではないか。
◆まとめ
「自宅にはテレビを置かない」という方針を貫いたという川嶋家。そしてはにかみ屋で笑顔の美しい紀子さまには、日本じゅうの子育て世代やお茶の間が、「今時こんな清楚で控えめな雰囲気のお嬢様がいらっしゃったとは。どのように育てたのだろう」と話題にし、紀子さまのご両親のお人柄にも高い関心を持ったといわれている。
だが、いろいろなことを知った今、改めてこうした動画を拝見すると、別の感情が湧いてくる。
川嶋王朝を樹立せんと娘を駆り立て、教育し、誘導し、皇室へのお輿入れを成功させたのであろう父親と、言葉がどことなく不自由なのに、上から目線でいっぱしの事を語る母親。皇室入りを果たした娘は、いつの間にか秋篠宮家を仕切り、側近や職員にヒステリーを起こすまでになってしまった。
愚鈍なのにキツイ女 ― 上司がこれだと本当に部下は苦労する。側近の皆様も、とにかく大変な思いをしておられるのだろう。
(朝比奈ゆかり/エトセトラ)
画像および参考:
・『YouTube』川嶋家の子育て1/2 母和代さんから紀子様へ tw0ku
・『gettyimages』princess kiko 2017
「アナタ ジコチュ ネ!!」覚えたての言葉を叫んでみたwww
お母んも「手の技」レベルwww
親父は川嶋紀子サンに何を仕込んだ???
日本国民はいっつも不在。「人頭税」みたいに扱われるし。抗議の電話とメール、陳情書と署名簿の果し状。
そういえば、お盆は乗っ取った川島家の墓参りしたんかな? 川嶋辰彦サンが埋められているでしょ。地獄の沙汰ね。
台風が近付く不安の日に禍々しい花冠の儀があるけれど、安西孝之サンとか正田家・川嶋家・角田家の動向は如何なるか?
語彙がプアーなのか、適切な日本語をチョイスできないのは、川島家の共通事項ですね。
ニセモノを天皇にでっち上げる、失敗して皇室衰退。奴らにとってはどちらでもいいのです。楽なものですよ。
大変興味深い映像をご紹介くださりありがとうございます。
私が引っかかったのは紀子様が秋篠宮家の「教育方針」を語るところです。
ノロノロ、ニタニタ、クネクネ喋る姿は鳥肌モノ、旦那の興味無さそうーな顔にも呆れましたが、それよりも内容に???確認のため以下に書き起こします。
母・和代さんから紀子様へ、、、
受け継がれた”子育て方針”とは?
自分が考えていることを
言葉で豊かに表現していくことを
育んでいくことができればと思っています
へーっ!この「方針」でどうして「あの様な作文」が生まれるのか?
「方針が嘘っぱち」だったか「子育てが大失敗」だったと言うことでは?いずれにしてもこの宮家の語ることや見せるものはインチキや嘘っぱちなのかな?と感じてしまいますね。
前に何回か、聞いたか読んだかしたのですが、なんだかすっきりしないというか、変な感じ、何を言っているかわからなかったのです。子育てに不似合いな言葉を使ったからと理解しました。
この人たち、本当のことを言っていないのですね。娘をどう育ててきたか、こんな家庭でしたと、そのまま言えばいいことですのに。慣れない言葉を使い、なんとか形を整えようとしたのですか。実際の子育てがどうだったか、伝わってこないわけです。実態は、とても公表できるものではなかったのかなと。
どのような家庭だったのでしょうね?
いまだに過去や経歴が謎で、嘘で塗り固めてきた家で育ったから、子供もそれが当たり前と育ち、あのようになった?
今の娘が、幸せなどひとかけらもない鬼のような顔になって、それを見て、よかった、いい子育てをした、と、親として思えるのかしら。そんなこと考えもしない?
きこさまのご両親…言葉使いもファッションも独特。クセが強いです。辰彦氏のショートパンツ姿w和代さんは見るからにギスギスした感じです。
確かに、ご結婚前は、はにかむ笑顔が可愛いお嬢さん、という印象でしたが、今は、貼りついた笑顔が怖いお母さん、になってしまいました。年を重ねると、内面が顔に出るとよく言われる通り、キツい性格が顕著に出ています。色々な面できこさまは、反面教師ですね。
秋篠宮と紀子さんが婚約した頃、(何も知らなかったから)川嶋家の両親は皇室に嫁がせるのはどんな気持ちなんだろうと思ってました。
それは、いろいろと画策した結果でようやくここまでこぎ着けたと思ってたかもしれませんね。
眞子さん誕生した時に最初に駆けつけたのは川嶋家の方だったけど当時の両陛下(今の上皇夫妻)の前に眞子さんの顔を見るのは遠慮したと聞いて気を使わないといけないとかとも思いましたね。
それより、今でも思い出すのは雅子皇后陛下のお母様の言葉。「子供達にいつも見られてると思うと背中が緊張しておりました」と仰っておられました。そんなふうに思いながら子育てをされたのですね。私なんかいつもだらっとしてましたけど。(^_^;)
やはり、親の背中を見て育つですね。
玉の輿は家光の頃に京都の八百屋の娘だったお玉さんが輿に乗って江戸に行った事から。
大奥も春日の局が若い綺麗な娘ばかりを集めて作ったそうです。名前が玉さんじゃなかったら別の「○の輿」になってましたね。
なんとか闘争とか○放運動などをやってきた人らしい、「羽仁もと子」が娘の教科書だという話。
でも羽仁もと子がいう「子供を邪道に連れ込むことになる」を図らずも実践してしまったのでは?
重婚先の家で皇統簒奪に血道を上げ、己の分を弁えない暴走娘にしてしまって、それでも「母の教育は成功しました」と胸を張って言えるのだろうか。